急げ!早くしろ!!

 「終活々々と、大騒ぎしている割には……。」と、何度も書いている。実際、心身共のエネルギー枯渇を自覚しながら、かろうじて取り組んでいる状態である。
 「一気呵成なんて無理」これも書いて来た。だのに、にもかかわらず「一気呵成」を目指しそうになる自分。何故?どうして??自問自答を繰り返し、やっと思い至った。これも呪いの一つだと。
 毒親たちからの呪い。あり過ぎる位ある。更に積み重なった、DV夫からの呪い。それらの幾つかは、交流分析で言う所の「ドライバー(駆り立てるもの)」であり「拮抗禁止令」である。つまり「一気呵成」は私にとって「急げ!早くしろ!!」同時に「完璧、完全であれ」というメッセージ。
 思い返せば(と言うよりフラッシュバック?)男親は常にイライラ、せっかちオーラをまき散らして家族を緊張させ、コントロールしていた。彼のフキハラは、いつものこと、だった。別れたDV夫は、何かというと「おっせぇなぁ、早くしろョ!そんなことも出来ないのか!!」と罵声、怒声を浴びせて来た。そこに、いったい何年身を置いていた?私は。
 その後遺症、呪縛。だから何かをする時、すぐに「一刻も早く完成させければ、それも完璧、完全なモノとして」と思ってしまう。思考回路が勝手に、そうなってしまう。自動思考、条件反射、学習、習性。指図する輩、罵倒する輩など、もういないのに。長年晒され、吸わされて来た空気は、私の身体に染み込み、内側から私を縛りつける。まさしく呪縛。

 「解毒剤は自分」と同じで、呪いを手放し、呪縛を解くのも自分だ。今、それを禁止したり邪魔したりするのは、私自身に他ならない。

 私は既に、新しい空気の中に生きている。

 思い立ったが吉日。こうした呪縛から自分を解き放とう。ただ、そうすぐには抜け出せない。年季が入っているのだもの。まず気付き、自覚し、それを認める。これぞ幸せの始まりと思いたい。

 「急げ!早くしろ!!完璧、完全であれ」この声に気付いたら、耳を塞ぎ、深呼吸し、立ち止まり、手を止める。そう、一時停止する。そして自分に声をかける。もう、そんなのには従わなくていい、従う必要も、義務も責任も無い。自分で自分を駆り立て、追い込まなくていいんだょ、と。
 そうした上で、やっぱり自分で自分を労い、労りたい。未だ、呪縛から逃れられずにいるのを責めるのではなく……。

 それほどまでに、彼らの毒は強烈だった。そこを生き抜いて来た、我が身の強さに感謝。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?