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覚書〜日本(人)の特殊性

下書きにしていた方がいいくらいのまだまだ底の浅い考察ですが、お許しください。

いいとか悪いとか優れているとか劣っているとかの話ではなく、日本(人)は諸外国とは違う?という事を思い始めてから、色々たくさんの話、エピソード他たくさん拾い集めてきて、コアの部分、基本のきからの思考が違うのかもしれないというところまできました。宗教と言ってもいいかもしれないです。

環境が人格を育てるのであれば、諸外国と日本が決定的に違う環境、で思い当たったのが、地震。

日本は有数の地震国ということ。

もちろん地震自体多い国はあるけれど、島国で大陸から離れているから移民が少なくて、赤道直下や北極、南極に近くない、つまり過ごしやすい気候であるところに位置する国は、地図で確認したら日本とニュージーランドでした。

本来ならばここでニュージーランドの歴史やら文化やらを比較検証しないといけないのですが、まだそこまではいたっていません。すみません。

地震や噴火、なんていう地球規模の災害は、おそらく数万年前でもさほど変わらないと思います。回数の多い、少ないや規模の大きさなどの違いはあるかもしれないけれど、ソコにヒトが存在した限り、つまり数万年前の縄文時代の人々でも、一生の内に地震や噴火などを経験する回数は現代人とほぼ同じ、日本列島にいたのであれば。

今でも諸外国の人の中には地震を一回も経験したことがないまま一生を終える人がいるとか。

日本ではまず、有り得ないです。

この大地が揺れる、という事実と経験は、知識の乏しい古代人にはどう受け止められていたのだろうと。

日本は全国いたるところで年がら年中だし、大地震と呼ばれるものも人生で一回以上は経験するだろう。それこそ津波がきたり、隆起や陥没で地形が変わることも一度ないし二度三度と目の当たりにしているでしょう、石器時代からずっと。

文字はなくとも伝えられていたはずです。いわゆる断層の上に神社が多いのはそういうコトだと思います。

神話に出てくる日本列島の成り立ちもあながち間違いではないのかもしれません。

そんな大地すら揺れるこの世界、ヒトはただひたすら揺れが治まるのを待ち祈る以外に何ができたでしょうか。

大地が揺れるたびにただただ祈り、治まった時に家族が、親戚が、あるいは形成していたであろう集団の誰もが生きていたことに手を取り合ってお互いの無事を喜びあっていた、蜂起陥没している大地を見て、そこに何かの大きなものも存在がいるのでは、とも思った。

こういう環境の下、信頼に値する者とはどんな人か。

当然、地震や噴火を金輪際起こさないようにすることはできるはずがない。

とすれば、地震や噴火を予知できるものか、起こった時に正しい対処ができるもの。

前者はともかく、後者は当然、年配者、すなわち長老や親、年配者。

地震は数十秒、数分すれば治まること。津波がくるからと高い所に避難せよと導く者。

そんな古代の人々を想像するようになってきました。



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