ロボット

面白い記事を見つけた。

ある人が、日本のロボットがズラッと並ぶカフェの動画を見て恐怖を覚えた、という。

だが日本では盛況だという。日本人はロボットに対して恐怖を覚えないのか?というもの。

確かに洋画の内容ってロボットが人類に反乱を起こす、という内容は多い。

対して日本は鉄腕アトムのようにロボットに人の心を持たせて、葛藤を描いたり、敵もロボットだけど味方にもロボットがある、というように、VS人類というのはあまりない。

彼はそこから日本のロボットと海外のロボットの歴史を辿って、理由の一つに宗教観の違いから来ているようだ、とした。

「日本の最古のロボットとしては、カラクリ人形が相当するだろう。お茶を乗せると動き出し、相手がお茶を取って呑んで空の湯呑みを乗せると反転して帰っていく、というもの。

海外では人に似せて作ったオートマタという楽器を弾く人形がそれに当たるようだ。

日本のカラクリ人形は表情は乏しいが、お茶を乗せて動き出すとこぼしはしないかとハラハラしながら見守り、無事に任務を果たすと安堵感とよく頑張りました、のような親しみの感情を湧き起こす。

片や西洋のロボットはいかに人間に似せているか、ということに重点を置く。顔のパーツから、楽器を弾いている時の呼吸による胸の動きなどをよりリアルにすることに腕を競った。
ただあまりに人間に似すぎていると、人間が人間に近いものを創り出すのは神への冒涜だ、とみなすらしい。

日本は神は万物に宿る、つまり人が造ったものも神が宿るとされ、愛情を注いだり、供養したりする。

日本はロボットと人を同列に見ている。
海外はロボットより人類が立場が上と思っている。

だからロボットがいつか反乱を起こすのでは?という恐怖感が深層意識にある。

日本はロボットも人と同列に扱うものだから恐怖感がない、あるいは薄い。

日本はロボット(が優秀になっていくこと)に対して肯定的で、海外では否定的だということだ。

この壁は実はかなりハードルが高く、そして相当厚い。

この差がある限り、日本のロボット工学を超えられない」と彼は締めくくっていた。

そして私は、日本人とグローバルスタンダードな思考の違いをついに見出した。

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日本(人)は根本的な思考が「共存・共栄」グローバルスタンダードは「征服・服従」

これが無意識に根付いている思考。ロボット造るにしてもネットワーク構築においても。

「かつて神様はヒトをつくる時、はじめは丁寧に一体一体造っていたが、途中で面倒くさくなってヒトの元に紐を垂らし、その中で紐を振り回してヒトの元を飛ばして造ったと。だからヒトは神がはじめに丁寧に造った優秀なモノと紐で飛ばされてできた劣勢のモノがある」

というのを読んだことがある。
ヒトはだから優秀なモノと劣等なモノがいて、優秀なモノが劣等なモノを導くのだそうだ。
導くとは聞こえはいいが、裏を返せば服従させるコトだ。

共存共栄圏の思考は、劣っているところもあれば秀でているところもある。それぞれがそれぞれの弱点をも補って、共にやっていこうという思考である。


日本(人)の特殊性はこの共存共栄思考だからではないのか。




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