白馬の王子様なんていない。

生まれた時から今まで、多分、これからもずっと女の子なのだけれど。なんというか、私は某夢の国が好きではない。
女の子ならば、某夢の国が好きだ!みたいなイメージがある。
でも、私は好きではない。
人混みが苦手だ、とか。
待ち時間に何をして過ごせば良いのか分からない、とか。
高所、閉所、暗所が怖くて仕方ないから無理、とか。
色々理由はあるけど、それらは全部「遊園地があまり得意ではない」を説明する理由で、特別某夢の国が好きではない理由ではない。
それが好きではない理由は、たった1つで。
そこで描かれる「主人公の女の子には、王子様が現れて、その王子様と一緒に幸せに暮らしました」ていう所謂ハッピーエンドが気に入らないだけなのだ。
たったそれだけ。
あと、まあ、海外の絵柄が怖く感じたり、気味悪く感じてしまうから苦手っていうのもある。

別に、このことについて、何か不都合があったことは特になかった。
でも、高校生の頃、部活(というか、同好会)で、私以外の同期が私の目の前で、その夢の国に行く計画を立てていたのをきっかけに、私はなぜそれが苦手なのか、と考えるようにはなった。
まあ、その前に「私の前でやるなんて、嫌がらせだよな。嫌いなら、嫌いとはっきり言え」と思い、普通に精神的に参ったけど。
その後、当然のように私以外にお揃いのお土産を買ってて、バチバチに病んだけど。

マジで、私は忘れない。
同期、私はちゃんと根に持っているよ。

閑話休題。

少しずつとはいえ、なぜ某夢の国が好きではないのか、ということに対し、考え始めた。
初っ端から、先述した”そこで描かれる「主人公の女の子には、王子様が現れて、その王子様と一緒に幸せに暮らしました」ていう所謂ハッピーエンドが気に入らないだけ”という結論に至った訳ではない。
最初は、単に人混みが苦手だったり、興味がないだけだと思っていた。
だが、その最初の結論というか仮説?は、すぐに否定された。
だって、人混みが苦手なだけだったら、人がそんなにいない時間帯に行けばいいだけだし、誰かと行く話なら、特別そんなに気にならないだろう、と思ったから。
当時、私はお笑いライブのため、新宿に行っていたのだ。まあまあな頻度で。
夜の新宿は人が多い。それでも、そんなに苦にならず行けたのは、お笑いライブという楽しみがあったから。

では、興味がないだけ、というのはどうだろう。
興味がないといっても、人と一緒に行き、楽しかったりしたら、そこで興味を持てるだろうし、事前学習により興味を持つことができたはず。
だが、それをする気が起きなかったのは、まあ、同期のことが好きじゃないってのもあるけど、興味を持つことができない理由があるからだ、と思った。

そこで、ふと幼い頃のことを思い出してみる。

私の中にある古い記憶では、人生初で見たテレビ番組は犬夜叉だったし、仮面ライダーとレンジャーものにときめきを感じていたし、ドクターイエローにしっかり興奮していた。
仮面ライダーになりたいとも思っていたし、サンタさんには仮面ライダーの変身グッズをお願いしたこともある。

女の子がするであろうお人形遊びは、そんなにしなかった。
だが、生まれた時から一緒にいるドラえもんのぬいぐるみとは、共に家の中を探検した戦友という仲だし、古くからいるぬいぐるみもあらゆる困難を共にした戦友という仲。
…カッコ良さげにいっているが、単に家でぬいぐるみ片手に駆け巡ったり、ソファーによじ登っては、うっかりぬいぐるみの手を離し、半泣きで追いかけ、ソファーから落ちるってことをしていただけで、そんな戦友とかいうカッコイイ感じではない。

幼稚園の現役生だった頃、ムシキングとラブandベリーが出て、かなり流行っていたが、私はラブandベリーをせず、ムシキングをし倒した。アダーコレクションをバチバチに持ってる兄を尊敬したし、今も尊敬している(尊敬ポイントがおかしいが、これ以外のところでも兄のことは尊敬しているのでセーフ)
ラブandベリーは、女の子がするもんだし、なんかそんなことする私はカッコ悪いとも思っていた。

…と、ここだけだと、ただの女の子がするようなことをしたくないだけの子、という話で終わるのだが。
そうではない。

幼稚園の現役生の頃、園での生活で、読み聞かせの時間などがあった。
テレビで日本昔ばなしのアニメを見る時間なども。
大体それらは「幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし」で終わるのだが、私は納得できなかった。
そんな訳あるかい!と思ったのだ。

それに、白馬の王子様なんていないと思っていたのだ。

当時、好きな男の子がいた。
ほわほわしており、マイナスイオンを常に放出しているような、そんなイケメンである。…推しかな?
そんな彼を私は本当に好きだったから、白馬なんてのに乗ってなくたって、王子様はいるもん!と思っていたのだ。

ここまで思い出して、それで私は”そこで描かれる「主人公の女の子には、王子様が現れて、その王子様と一緒に幸せに暮らしました」ていう所謂ハッピーエンドが気に入らないだけ”という結論に至ったというか、そこに行き着く道のはじめに立ったのである。

幼稚園の現役生時代の後、当然小中と来たわけだが、その間に見たアニメや小説では、主人公はヒロインやヒーローと結ばれるってことはなかったし、結ばれてもなんか酷い目に遭ってて、そんな酷い目に遭ってても自分は幸せだ!てなってるのもあった。
そういう色々な幸せの形を目にし、私は「そう簡単に結ばれるもんがあるわけない。きっとこの後、酷い目に遭ってグズグズでドロドロな共依存とかになるんだ…。それが幸せなんだろ…」て思うようになった…気がする。
そこら辺は曖昧だ。

まあ、兎に角。
私は、決まりきったあのおわり方(所謂ハッピーエンド)が気に入らないという、そんな勝手な理由のみで、某夢の国を好きになれないのである。
それで苦労は、今のところ謎の嫌がらせを受けたくらいで、他はない。
でも、これから彼氏ができて、「某夢の国に行こう」と誘われた際、こういう理由があって私は好きではないのだ、といって断るのも何なので、もし誘われたら行こうと思う。
案外、大人になった今、行ってみたら楽しかったりするかもしれないし。
待ち時間は、己の中にあるエピソードトークで、相手を退屈にさせなければ良い話だろう。

何事も苦手より得意、そうでもない、というのが多い方が良いから。