「人生肯定」してたら、「人生好転」したの巻き。

2月18日、奇跡が起こった。いや、奇跡が起こっていることに、気付いたという方が正しいのかもしれない。

奇跡って何?ってなるかもやけど、僕自身が「進化」したと。そう感じる。

目の前に見える風景が一新した。

「今なら、やりたいことは何でもできる気がする。」

今日は、そんな感覚をもった。


実際、起こったこと

・オア明奈さんにひとつ役割を与えていただいた。(これ、めちゃくちゃ嬉しい。期待を裏切らないように頑張る。)

・ずっとほしいなあと思っていたコミュニティに出会えた。

・自分が人生でやりたいことが少し見えて、キーワードベースで言語化することができた。

・自分の心が感じていた違和感は間違ってなかったんだと確信を持てて、新たなステージのために、行動し始めた。

・他者へ「No」と言えるようになった。

それらは小さな出来事ばかりだと思われるかもしれないけど、
去年の自分には絶対に想像できないことだった。

周りに正解を求めて生きていた「去年」

今だからわかるけど、これまでは、誰かに正解を教えてもらおうと思っていたんだと思う。

去年まで、自分の行動の選択を自分で決めることができていなかった。決めているつもりになっていただけだった。

唯一決めたことって、彼女へのプロポーズだと思う。
2020年5月、その年の11月にプロポーズすることを決めて、婚約指輪を購入した。
プロポーズするまでに「もっと遊んだほうがいいよ!」と言われることも多かったが、言われても気にもしなかったし、結婚しない選択肢について想像もしなかった。ひたすら、どうすればお互いが幸せになれるのか?今できる最高のプロポーズは何なのか?と考えるばかりだった。

他人に何と言われようと、プロポーズすると決めたことは曲げなかった。親にもまだ早いと反対されていたのにだ。

なぜそうできているのかはわからない。
自分で決める、覚悟を決めるって、どんな状態になればいいのか?何をすればできるようになるのか?は、今でもわからない。

今過去を振り返ってみると分かるのは、いつも頭で「するべきだ」「せねばならない」というので動いてきた行動は継続できずやり切らなかったということだ。

そして、最も重要なのは、心の感覚を大事にすることだ。
その未来や自分の行動に対して、心がわくわくしているのか?喜びを感じているのか?そもそも自分は何に心を躍らせるのか?
重要なのは、心の声に耳を傾けることだ。

去年の秋、僕は転職を決意していた。それは、僕は、経営者になりたいから、経営者になるためのコミュニティに入らないと「いけない」からくるものだった。その行動自体をしたいと心は思ってはいなかった。そこに用意されている環境は、経営者になるのにはほとんど完璧だったのにだ。転職先も決めずに、上司に退職すると報告し、退職手続きも経た。
 そして、人事から、本社に戻すなら辞めないか?と言われて、退職せずに本社に戻ることにした。結局、それでコミュニティにも入らなかった。お金とキャリアを頭が気にしていたからだ。
 その後、僕はできない自分を否定し、共感できる人が周りにいないという孤独感、こんな自分の未来に恐怖を感じ、次の日の朝が来ることにおびえて、毎日が苦しかった。他者の行動すべてが、自分を責めているように見えた。やりたいなと思うことが、何もかも不可能に思えた。

今思えば、完全に負のスパイラルだ。笑

ただ、結局、それは自分で自分のことを苦しめているだけだった。
他者は何も関係がない。ただ、心の声に耳を傾けていなかった。いや、何が心の声なのかを理解できていなかった。
生きることって、これほども大変なことなんだなと気づいたし、もっと自分のこと好きになってあげないとやばいなあと思って、
そこでポジティブな人たちが集まっているCRAZYの方たちのTwitterをフォローしまくったのが始まりだった。

なんかすごいかっこいい女性がいるなって、「オア明奈さん」だ。

当時の僕は、明奈さんのことをさすがに楽観的すぎだろうって、疑いに疑いまくっていたが、でも孤独感MAXだったので、だまされたとオンラインサロンでも入ってみるかと。

12月の振り返りだ。明奈さんが創り出す、愛溢れるあの空間に魅了された。

心が満たされた。涙が流れた。

そして、ライフログスクールに行くことにした。
だいぶ迷ったが、今行動しないと変われないと思い、申し込んだ。

明奈さんみたいになりたいと思って、ひたすら、明奈さんの哲学をインストールした。ライフログスクールでも全力で、自分と三期生のみんなと向き合った。

明奈さんから教わったプロセスでは、感情を大事にしていた。
心の声に耳を傾け、何に対して心が躍るのか?
どんな想いを持っていたのか?

そういえば、感情って忘れていた。気持ちとか心は存在しないと思っていたからだ。それって結局、ホルモンによる、身体に生じる電気信号のことでしょ。と思っていたからだ。笑

ただ、言語化することは、ものすごく重要だった。心の声が聞こえなくなってくる。覚悟とか、心の声は、言語化して、客観的なものに移しておかないと、人はそれが何なのかを忘れてしまう。

だいぶはしょったが。笑
ライフログスクールが終わってから気づけば、大量の言語化されたものから、僕は自分が生きたい人生の方向が少し見えていた。

「やっぱり、自分はそういう生き方がしたかったんだね。」って。


改めて、生きる覚悟が固まった。

少しずつ、自分の心の声が見えてきた。

僕は、お祝いがしたい。涙の出る感動を創りたい。もっと自然で軽やかに生きる考え方を伝えたい。愛するということの美しさを伝えたい。

人は、普通、何か違和感を感じても、みんなが言ってるからと気づけない。

時代がやばいからだとか、一人でも生きれるようにならないといけないとか。老後のお金を稼がないといけないとか。他責にしてはいけないとか。目標達成することが、人生である。とか。そんな考えは甘いだの。自責の念が弱いだの。

そして、周りの発言に、頭が惑わされ、何が正解なのかがわからなくなってくる。

そこには正解なんて存在しないのに。

そもそも、人生に正解なんてない。

今だから言える。人生は、何を正解にしたいかなんだって。
心が求めてないよって思えば、ほっとけって思えてる。

正解にしたいことがあれば、それらに共感してもらえる人達の近くに行った方がいい。その人たちと意見交換をした方がいい。

僕は、もっと愛することの美しさをみんなに知ってほしい。

そう気づいたとき、改めて生きる覚悟が固まっていた。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?