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訃報  届く

ケータイに電話  I さんから 珍しい 
年に一度夫が亡くなった11月にこちらからかけてご機嫌伺いをするだけの電話

「 I の甥です 叔父が亡くなりまして・・」

11月にお話しした時にはお元気そうで 
「また新宿で会いたいね」
「お元気でいて下さいね」


亡くなった夫の友人で、テレビ番組の「Gメン75」に長く携わっていた編集者さん

週1回放映なのでほとんどスタジオにこもりきりで徹夜徹夜の連続だったと聞いている
最終回が終わったあとは、火曜サスペンス劇場の編集をされたり、映画の編集もされていたと聞いている

ただ演出をしていた夫と同じように、デジタル化を嫌い、少しずつ仕事も減っていったようだ(ここは間違っているかもしれない 他の事情があったかもしれない)

そんな折、石原裕次郎さんをこよなく愛する岐阜のお大尽から、裕次郎さん・高倉健さんの映画を自分が出資して作るからその時には是非編集者として加わってもらいたいとの誘いを受け、独り身であったという気軽さもあったのか飛騨高山に居を移された

お大尽の経営する大型店舗でラーメンの麺を作る仕事も手伝い、慣れぬ作業で腰を痛めたりしたこともあったそうだ

私たち夫婦は I ちゃんを励ましにということで年2〜3回車で高山に行き、夜になると決まった居酒屋で酒盛りをした。社会のこと・業界のこと、二人とも遠慮なく話し合える仲だから泡を飛ばしてしゃべってた

真ん中が I  さん


一次会が終わると私はビジネスホテルにさっさと帰り、二人はまた場所を変えて遠慮なく愚痴やら何やら論議?したことだろう

夫が亡くなったことを知らせた時は、すぐその日に高山から高速バスで自宅に来てくれてまだ布団に横になっている夫に話しかけてくれ、すぐまた帰っていった

I さんは栃木の実家の近くにお住まいだったので弔問にも伺えず、お顔を見ることはできなかったが、きっと今頃夫と二人で酒盛りをしていることだろう

       I さん長い間ありがとうございました

いつも着ていた「Kodak」のジャンパーを欲しいって言ったら脱いでくれたっけ!


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