「文は人を表す」、その先にあるもの。 笑いを捕らえよ!#5

「名は体を表す」

ということわざがある。

「名前はその物や人の性質や実体をよく表すものだ」という意味なのだが、これはどうも信じがたい。

今まで出会った「田中さん」や「鈴木くん」を数人思い出していただきたい。

中には性格が似ていた人もいたかもしれないが、苗字が同じでもほとんどの人が性格が違うだろう。

だからこのことわざは、理由も特にない、単なる感覚に過ぎないと自分の中では思っている。

しかし、こうしてみてはどうだろうか。

「名は体を表す」ということわざを、もう少しnote風に…

「文は人を表す」とするのだ。

人が書く文章の多くは何らかの意図があって作り出されている。

そこには、伝えたいことや、作者が大事に思っていることなどが詰まっている。

いつも明るい投稿をする人は見ていて清々しいし、楽しいことが好きなんだなという印象を与える。

逆に、少しネガティブな投稿をする人はそれはそれで勉強になることを言ってくれる。

毎日日記を淡々と更新し続けている人もいるし、急に今までとは違う分野の記事を書く人もいて、まさに「文は人を表す」と言ってもいいだろう。

そんな多種多様な人々の生き方を見ることができるのは、noteの醍醐味と言っていいだろう。

そんな素晴らしい機能を持ったnoteを、みなさんは最大限使えているだろうか?

人々の投稿があってnoteは成り立っている。

そして、入ってくる情報量が多いからこそ、noteは楽しくなる。

情報量を増やすためには?

そう、「フォロー」をするのだ。

朝起きてnoteを開いた時、誰かをフォローしていれば、記事という形になって人々の生活や人間性が表示される。

「あ、あの人が小説書き始めてる」

「へえ、この人、本も好きだったんだ」

「え!この人もお菓子好きなんだ!」

そこには、フォローすることでしか得られない感覚がある。

「フォロー」の壁を越えた人にしか見えない大海原が、そこにはあるだろう。


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