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私のサンダルを投げ捨てた父

小学生の頃、夏場は近所の川によく泳ぎに行っていました。
水がとても綺麗なのですが、水温が18度くらいしかなくてめちゃくちゃ冷たいので、日差しで身体を温めつつ、震えながら泳いでいました。
透明な川で魚と泳げるなんて結構贅沢な環境だったなと思います。


今では禁止されていますが、当時は川にかかっている橋の欄干から川へ飛び込んで遊んでいました。欄干の高さが4mくらいなのでアパートの2階のベランダから飛ぶようなもんです。

小学5年生のとき、高校生や大学生が飛んで遊んでいるその橋に「お前も飛んでこいよ」と言って父に立たされました。
下から橋を見上げていたときは大して高くないと思っていましたが、欄干を乗り越えたら後悔しました。
た、高い…
足がすくんで飛べませんでした。
小学生でも男の子は結構飛んでいる子はいたので、私も飛んでみたいなーとほんの少し思っていましたが、いざその場に立つとめちゃくちゃ怖い。
なかなか飛べない私を、父は横からけしかけてきました。


はよ飛ばんや(はやく飛びなさい)

  いや、飛べん、むり

ほら、お兄さんたち(大学生)は飛びよるぞ

  いや、むりて

ほらほら(欄干に捕まる手を剥がそうとする)

  いやぁぁぁやめぇぁぁぁぁぁ!!!!!

うるしゃあねー(うるさいな)、ほら飛ばんや怒

  だけん待ってって!!飛ぶて!!


なぜ私はこんなに意地になって飛ぼうとしていたのだろう。
多分橋から飛べる人=ちょっと大人でかっこいいみたいな図式が頭の中で出来上がっていたんだろうな。
だから飛べるようになりたかったんだろうな。

父は娘を可愛がるタイプの父ではありません。
私も記憶のどこを探しても"可愛がられた"記憶はありません。
ありとあらゆる場面で

 ほー、やってみぃ(ほら、やってごらん)
 なんや出来んとや(なんだ出来ないのか)
 つまらんなぁ


と言っては子どもをけしかける父親でした。
やだ!できない!と言って泣くと怒られました。
まさに子どもが親に褒められたいサガを利用する父親でした。
そして私は褒められたくて怒られたくなくて、まんまと頑張る子どもでした。
たまにお父さんに怒られた事ないって人いるけど、あれ嘘だよね?私は絶対に信じないぞ。



照りつける太陽。
なかなか橋から飛べない娘。
娘を待てない父。

痺れを切らした父は、私のお気に入りのサンダルを橋から川に投げ捨てました。
驚いて父を見ると

 はよ飛ばんとサンダル流されていくぞ

と言って笑っていました。


  ……うあぁぁぁぁぁ!!!!!バシャーン!



流れていくサンダルを見ながら

あたしのサンダル
            お父さんひどい
飛ばなきゃ
            お父さんひどい
流されていく

が、多分1秒にも満たない時間の間に何回か繰り返し、自然と手が欄干から離れました。

サンダルは泳いで取りに行きました。
1回飛んでしまえば楽しいもので、これ以降何かが弾けたように飛びまくって川と橋の往復を繰り返しました。
父はどこまでも私の性格を読んでいたんだと思います。飛べること。飛べばハマること。

しかし大人になった今でもやっぱりサンダルを投げるなんて暴挙だと思うのです。
もちろん、家に帰ってから母にチクりました。

私 お父さんにサンダル捨てられた!!

母 は?なんそれ?なんで?

父 なかなか飛ばんけん。捨てたら飛ぶど。

母 うわー…(引)    で、飛んだと?

私 うん。飛んで泳いで取りに行った。

母 うわー…(引)    お母さんは絶対無理。
  あんなとこから飛べるわけない。

母よ、なぜ父の暴挙に抗議してくれないんだ。


子どもの心に寄り添いましょうとか
出来るようになるまで待ちましょうとか
手を出さず見守りましょうとか
最近の子どもの気持ちを大切にする子育て論を目にすると、痺れを切らしてサンダルを投げ捨てた父を思い出します。
待つ気ゼロな昭和子育て。鬼。他にも昭和子育てエピソードはそこそこあります。

父の子育ては我が子を谷に突き落として登らせるタイプだったと思います。
父なりに谷の深さは調整してありましたが
 「そんぐらい出来るようにならなイカン」
と、何度も言われました。
激励よりも叱咤の方が多かったです。

父はたまに母に愚痴るそうです。
 「和香は俺に厳しい」


あなたがそう育てたんですよ、お父さん。



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