世界を見る色覚

他者には、世界は何色に見えているのだろう。

目の前の空は、何色?そもそも、「青色」と定義してる色も、人によって違うのかな。

小学生くらいの頃、こんなことを考えていた気がします。これは、色弱に関する話題などではないけれど。

「人を殺してはいけない」

これは、みんなの共通認識だけど

「蔭口を言ってはいけない」

これには、必ずしも賛同するとは限らない。

なぜなら、各人が彼らなりの「価値観」や「根拠」を持っていて、

「言いたいことは直接言うべきだ」と考えている人や、「本人に言ったらトラブルになるのなら、言わないでそれを避けた方がいい」と考える人など、意見は千差万別だから。

「多様性」が重んじられる現代で、自分は多様性を重んじることはできるだろうか。

髪を染めている人、太っている人など、見た目の異質さは受け入れられる。しかし、内面的なものが違うと、弾圧したくなる。

もちろん、意見が合わず軋轢が生じる相手と無理に付き合う必要はないし、一方に迎合する必要もない。それでも、自分とは違う価値観を持つ人の話を聞き、自分の視野を広げたい気がする。

「完璧な客観は起こり得ない」

誰の言葉か忘れたけど、こういう名言があった気がする。

人は、完璧な客観で物事を見ることはできないけど、なるべく他者の立場に立って物事を見て、我儘をある程度抑制して共同体を維持しているのではないか。

裁判などにおいても、完璧な公平・公正でなくとも「弁護人」と「裁判官」がいて、2つの視点から事件を捉えようとしている。

「原発を稼働するか否か」という話題に対し、私は「放射能漏れがあったら逃げればいいし、燃料を輸入し続ける必要がないから原発賛成」という意見を持っているが、逆に農家は畑の土壌を失いたくないので原発には反対する。

例えばそんな農民の前で、「俺は原発賛成なんすよね~」なんて言ったら、目の敵にされるかもしれない。

そういうことで、私も視野を広げて、社会とうまく馴染めるように、自分の意見に固執しないようにしたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?