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父さんと母さん

今から15年前の話。僕は30歳、父さんと母さんは60歳とまだまだ元気で父さんの定年により少し時間ができたので僕の住んでいる県まで遊びにきてくれた。ちなみに、僕が住んでいる県は親元からかなりの遠方だ。
ぼくは九州で、両親は北の雪深い小さな町。会えるのは年に1度あれば良いほうで、電話で話す機会も月に1~2度程度。こうした遠距離は親元を離れた18歳から計算すると四半世紀も続いている。
父さんと母さんは九州まで車できてくれたのだ。走行距離は考えるのも嫌になるほどのキロ数だが父さんは運転が好きとのことで楽しそうにしていた。僕は30代といい大人である。普通なら遠路はるばるきてくれたのだから「おもてなし」するのが大人のマナーなのかもしれないが、そうしたことはできず、父さんと母さんには「成長した息子」でなく親不孝にも「残念な息子」として映っていたのではないだろうか、と今になっても後悔していることがある。
あれは、市内の繁華街にあるしゃぶしゃぶ料理のお店に連れていったときの話だ。昼間にいくつか観光名所を案内し、景色の良い山道ドライブを楽しんだあとに夜は外食しようとなった。僕はせっかく来てくれたのだから「美味しいものを食べさせてあげたい」と純粋に思った。少し遠いが以前に訪れたことがある繁華街のお店を選んだ。父さんは「そんな遠くなくても近場でいいよ」と言ったが、どうしても連れていきたかったので半ば強引に市電乗り場へと急かした。
途中、空気に舞っている灰が気になったのかマスクをして辛そうにしている父さんの姿を見ても「あのしゃぶしゃぶを食べたら気分も一転するだろう」と呑気に構えていた。移動手段で利用した路面電車を珍しそうに乗っている両親を見て、ぼくは調子よく良い観光をさせている実感に酔っていた。

お店の近くまで来ると、なぜだか急に小便をしたくなり両親を外で待たせてコンビニのトイレを借りに行った。トイレのドアを開けようとしたとき同年代位の女性が出てきて入れ替わる形になった。そのときその女性は僕を見て笑顔で誘っているようにも見えた。美人でいい匂いのする水商売されている方とすぐ分かった。お酒が入っているのか妙に妖艶でこのまま声をかければ成功する雰囲気だったが、この日は両親と一緒だ。僕はすぐに諦めたがもったいない気がしたのと同時に神様を恨んだ。どうして別の日にこうしたチャンスをくれないの?と。

コンビニを出たらすぐに目的のお店に入った。予約をしていたのですぐに2階の個室部屋に通された。静かな和室で落ち着いて話すには絶好の場所だ。若女将が注文を取りに来たので僕は「じゃあ、コースを3人前で」と言うと、すかさず父さんが「これ2人前でもいい?」とおかしなこと言う。女将も少し困った様子で「2人前だと少ないような気もしますので、できれば3人前が良いかと」どうやら少しでも料金を少なくしようと思ったのだろう、メニューにある金額がまあまあ高いのだから気持ちは分かるが、こういうお店に来てまでいいじゃないか、と父さんに言い聞かせて3人前に決めた。あとから気付いたのだが、きっと僕が奢ってあげるものだと察知して気を利かしてくれたのだと。残念ながら僕はそこまで考えておらず単純に食べたいものを注文すること、両親に地元の美味しいものを食べさせてあげたい、と思っただけで奢る考えは持ち合わせていなかったのだ。

メインのしゃぶしゃぶがくる前に前菜、飲み物で歓談した。やはり自宅とはちがうお店の雰囲気も相成り3人とも興奮気味に会話も進んだ。とてもいい時間だった。女将がしゃぶしゃぶをもってきて料理の説明もしてくれると、父さんも母さんも「へぇ〜」と感心しながら田舎っぷりを都会でもない場所で発揮させていた。
普段のポン酢で食べるしゃぶしゃぶとは違い、やさしい出汁でいただくことや黄金色の汁に母さんは感嘆していた。その姿を見ていた僕はどこか誇らしげに「だろ?」とニヤニヤしていたのを今更ながらアホだったと恥ずかしく反省している。なぜならこのまあまあお高いしゃぶしゃぶコース3人前を奢るわけでもなく、現金を持ち合わせていなかった母さんのクレジットカードで払わせることになるのだから。

3人のお腹も満たされたところで、母さんがトイレで席を立ち、父さんと2人になった。そうすると待ってましたとばかり、父さんは自分の若い頃の話をしてきた。しかも、父さんが初めて両親にご飯をご馳走したときの話だ。すき焼きをご馳走したけどそんなに高級なところでなく、決して値段ではない、気持ちがあればそれでいいんだ、という話だった。まさに僕が今夜ここを奢ることに抵抗感を持たないようお膳立てしてくれているようなものだ。それなのに、それでも奢る予定を頭にも持ち合わせていなかったぼくは非常に残念な大人だ。

さて、いよいよお会計の時がきた。一階レジのところにきて値段を聞いたときに僕は初めて親に申し訳ない気持ちになった。なぜなら、僕はその会計値段以上の現金を持ち合わせていなかったからだ。そこで初めて、あれ?これは親が払うよね?もしかして奢ってくれることを期待していたのかな?まずい、今は金持ってないぞ、カードはあるけどこんな値段勝手に使ったら後で奥さんに怒られるし、などものすごいスピードで脳が回転しはじめた。女将も僕らの雰囲気をみて息子さんがご両親にご馳走されるのね、というムードで僕に金額を伝えてきた。

恥ずかしかった。焦っていた。でも、弱いところを見せたくない、という悪魔が勝った。僕は母さんに当然のごとく、お会計よろしくという合図を送った。母さんも予想外だったのだろう、ここカード使えますか?と女将に聞いて、使えると分かるとクレジットカードで精算を済ませた。父さんは後ろの方で黙ってそれを見ていた。一応ご馳走様とお礼は言ったものの少し申し訳なさそうになっていた表情が母さんには見透かされていたのか、逆に「こんな美味しいところ考えて連れてきてくれてありがとうね」とお礼を言われた。

情けなかった。いい年して遠方から来てくれた両親にご馳走できなかったこともあるが、それ以上にその発想を持てなかった自分にだ。子を持つ親になれば分かることだが、我が子の成長が何よりの親孝行なのだ。お金持ちや出世だけでない、心の成長は何よりグッとくる。18歳で親元を離れ10年以上経ち、あまり両親の言うことは聞かず勝手なことばかりしてきた。両親には寂しい想いをさせてきた。待望の孫にもほとんど会えない。孫の運動会や文化祭へ行くことすら一度もできなかったのだ。それでも文句も言わず遠くから暖かく見守ってくれている。そんな優しい両親に我が子の成長を見せることすら出来ず、逆に残念な想いをさせてしまった。本当に情けない。親不孝にも程がある。

食事のあとは僕の狭いワンルームに3人で泊まった。ベッドに1人。狭いロフトの床に2人。若い学生ならアリかもしれない話だが、中高齢3人がこれをすると何とも悲しくなる絵図だ。どうしてホテルを取らずに狭いワンルームなのか?これは両親の性格なので言っても聞かないのだが、とにかく節約思考、余計なものや無駄なものは一切買わない。この旅も車で来てくれたのだが、定年を迎えてなお車中泊もする。一方で僕たちにはたくさんのお金を渡してくれる。「はい、泊まり賃ね」とホテル代以上の額を渡してくれる。「いやいや、これ多過ぎでしょ」といいながらも手は既に現金をキャッチしている。今にして思えばそんなやりとりを楽しんでいたのかな、とも考える。
あまり眠れない一夜を過ごして両親は翌朝早くに経った。結局たくさんのお金を使わせたあげく遠くから来てくれた両親には良い思いもさせてあげられてない。それが後になってから後悔という形で強く残った。親不孝な息子として。

15年経った今でもその思いは変わらない。
その分、今は電話など会話をすることで親孝行している。少しは成長した息子として映ってくれていることを願っている。

#創作大賞2023

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