男女別学って時代遅れなの?
こんばんわ。
今日はひうらの方の人格が強めです。
男女別学高の共学化についての記事がちょっと話題になってたから、それについて思うところを少し。
書く前に少しだけ。
僕は、ここで話題になっているのと同じ公立の男子高校の出身だ。男子校(女子校も)の共学化は全国どこでもあった話しで、それもあってか、今も存在しているのは珍しいというわけだが、はたして男女別学高は時代遅れなのだろうか。僕は、男女別学は時代遅れという方が、時代に遅れる危険性があるのではないかと思っている。そんな話。
さて、話題になってたのは、「埼玉県の公立高校について男女別学から共学にすべきだ」というもの。
話の前提として少し補足すると、埼玉県(及び栃木、群馬)の公立高校には、いわゆる男子校、女子校というものが存在する。そしてそれらは、旧制中学や師範学校からの歴史を持つ伝統校であり、かつ地元の進学校であることが多い。(ここ地味に大事)
ことの発端は、埼玉県第三者委員会が、件の提言をまとめたことによるらしい。(これが話題になった経緯は今回書きたい話とは逸れるので調べてない。)そして、これに対して、在校生だけでなく保護者や卒業生が賛否を唱える事態になっている。ザックリこんな感じだ。
これについて、実は過半数が反対しているというアンケート結果が紹介されていた。(真偽の程は定かではないが、浦高や浦和一女では反対が9割にも及ぶらしい。)ホントにそうなのか。これは甚だ疑問に感じる。ポイントは、アンケートの対象が在校生だけでなく、保護者や卒業生にまで及んでいる(のではないかと推察される)という点。
まあそれはさて置き。
ここで、一旦「これらの高校にはどんな生徒が、どんな理由で入学してきているか」を考えてみたい。
先にも名前を挙げた浦和高校や浦和第一女子高校は、埼玉県の公立校の中でも男女それぞれのトップ高である。また、トップレベルとまではいかずとも一般的に進学校(自称進学校よりは上のレベル)と呼ばれる学校ばかりである。つまり「どんな生徒」のひとつは、「(比較的)頭の良い生徒」となる。
となると、そのような生徒たちが、なぜこれらの高校へ進学するのか。それは大学受験のためとも言えよう。地元の中学から公立トップ校、(そして国公立大学へ…。)これが中堅都市におけるエリート街道だ。出身大学の知名度、偏差値よりも出身高校のそれが、地元での評価に直結する。そんな狭い世界なんです。(だからぶっちゃけ高校の成績なんてそこまで関係なくて、入ったモン勝ち。地元での就職に有利で、ご近所さんにも鼻高々ってのが地方の教育ママではなかろうか。)
となれば、勉学に秀でた自慢の娘息子に期待をかける親の陰が見え隠れするのは、もはや当然のことである。
つまり、進学の理由には2つの側面がある。
本人たちからすれば、「大学進学の最適ルート」である一方で、親たちからすれば、「高校のブランド力を得る」ところが大きな意味もっている。
閑話休題。話を戻そう。
今回の件は、哀しいことに、在校生の意思が問われる性質の話ではない。実際に、熊谷高校(男子校)では、反対多数は明らかという保護者会の意見を以て、アンケートを実施しなかったそうだ。これは一見すると聞こえは悪い。だが、その実は意外とそうでもないと僕自身も最近ようやく気付けたことだ。
どういうことか。
断片的にツイートしたが、改めて。
まず、こういう場面にしゃしゃって来る保護者、OBってのは不思議なことに応援団、野球部(サッカー、ラグビーあたりも)、地元の政治家他のお偉いさん、これらの属性を有している。声がデカいってやつである。(これは男子校目線ね。女子校のこういう類いのOGってどんなんだろう?でもこれに近しい属性を持ったOGが絶対にいる(確信))
もっと端的に言えば、愛校心の強い方ばかりなのである。「この学び舎での3年間が私の人生に云々…」ってのを当時の同級生らと盃を交わしつつ、心の底から信じて疑わずに話せる人。伝われ!(読み手に丸投げ、よくない。)
彼ら彼女らの青春ってのは、まだ終わっていなくて、自分たちの過ごした学び舎があって、そこに後輩たちが通っている限りは続いていく。そういうものなのだと思う。
裏を返せば、もはや青春を取り戻す術がそれしか残されていない悲しき存在友言えよう。
っていうのが、感情の部分。
ここだけで持論(この場合は共学化反対)を突き通そうとする老害は多いが、その扱いにはホントに手を焼く。
でも、それ以外にも彼らにしか出来ないことがある。
それは、人生を長期的な視点から振り返って、男子校(女子校)で過ごした時間が自分の人生にどんな影響があったのかについて、評価を与えることである。
ただただ楽しかった、一生の付き合いになる仲間に出会えたってだけに留まらない、その場の人間関係や物事に取り組む自身の姿勢などを第三者的な視点から振り返るとともに、その後の人生に照らし合わせて、自分の判断や行動にどんな影響があったのかを確認する作業とでも言おうか。こればっかりは、まさに今をその真っ只中で過ごす在校生には絶対にできない部分だ。
じゃあ大人の評価は正しいのかと言われればもちろんそうとは言えない。そもそも評価する人と貴方は別人なのだから同じ経験をして、同じ状況で同じ判断を迫られたとして、同じ選択をするとは限らない。それに、卒業して何年も経ってからいちいち高校時代を思い返しては、人生との照合作業をするような人は、よっぽど強固な愛校心がある人(その逆もありえるけど。)に違いなくって、評価、思考のバイアスが強すぎて、およそ普通の人ではないだろう。
これが、感情よりは少し論理に近い部分。
より多くの大人が、この部分で判断し、説明できるのならば、先にも言ったように、これが大人の問題であることはそこまで悪いことではないと思う。
もちろんこれは理想論だけど、比較的頭が良い卒業生の皆さんの真っ当な説明が聞いてみたいな。
最後に、じゃあ在校生の気持ちは?っていうところに触れたい。高校生っていうお多感な時期だ、女子と甘酸っぱい日常を求めるヤツはもちろんいるし、共学になれ!って言ってるヤツはいた。僕自身はと言うと、男だけの面白さや気楽さもあって、当時の日常に不満はなかったってのが感想。でもまあ、女子がいる楽しさもあるからね〜。
そもそもある程度の部分では、自分が選んでそこに足を踏み入れてるんだから、大した不満には感じなかったんだろうなと。
ふと読み返したら想像を遥かに超える長さになってた。まだまだ話は途中だけど、一旦ここで終わる。
眠くなったし、寝まする。
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