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2021年について(無目的な目的)

お疲れ様です。tamacomaです。

継続することが苦手な自分らしく2月の意気込みはどこへやら、投稿がほとんどできないまま2021年が終わろうとしています。
でも、新しいことを始めようと努力はしたし、初めの一歩を踏み出したと思えばかっこよくまとまるとおもいます。

来年は2歩目、3歩目と行けたらいいかな。

文章を書くってのはかなり難しいことがこの数少ない投稿を経て、改めて気付かされたことです。

自分の中で、確たる目的がないことが大きな原因です。

その本自体をよんでもらいたくて書いているのか
自分の感想を発信したくて書いているのか
読んだ後に考えをまとめる備忘録的なことなのか。 

沢山、選択肢はありますけど結局よくわからない。

目的がないまま文章を書くことって、やる気のないままやらせれる読書感想文とか反省してないのに書く反省文とかと同じで難しんですよね。
さらに、タチが悪いことに特定の誰かを思い浮かべて書くわけでもないですし。
(まあ、決めない自分が悪いんですけど笑)

(ただ、文章を書くことを楽しんでいる自分がいることに気づけたのは、大きな発見です。)

最近はFujiflimのx-e3にGIZMON Utulensという『写ルンです』のレンズを再利用したレンズをつけて写真を撮るのが趣味です。
絞りも明るさも、焦点距離もいじれなくて、いわいるパンフォーカス(全部にピントがあってるように見える状態)でスナップをパシャパシャ適当に撮る程度ですが、これがすごく楽しいです。
撮れる写真は、正直『綺麗な写真』では全くなく、おそらくアイファンでとったほうが画質的には綺麗です。
Lofi写真とも言えるそれがとても魅力的で、どこに行くにもカメラを持ち歩いている最近です。

写真も読書、執筆(カッコ良くいうと)と同じで目的が千差万別、十人十色な行為の一つです。

なぜ撮るのか、なぜ読むのか、なぜ書くのか。

私にはどれの答えもありませんし、みつけられる気もしません。
目的を探そうとすると苦しくなるし、悩んでしまう。
だからいっそ、いろんな自分の中に目的もなく目の前にあることを撮る、書きたいように書く、読みたいものを読む私がいてもいいのかもしれないと考えたのが2021年に私が出した結論です。

それはある意味でパンファーカスで人生を楽しむ決心がついたのかもしれないし、多分そばにいたい人がいて幸せと思える時間が沢山あるからかもしれません。

とにもかくにも、だらだらとまた無目的な文章を生み出してしましましたが、目的に縛れない時間があってもいいのかなって的な話でした。

lofiな人生ってなんだろうか。

冬恵比寿



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