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エッセイ 【眠れない夜に…】

ネットに文章を書いている人(ライター)に話を聞く機会がつい最近にあった。その会話の中で自称ライターというか、「ライターと称するのだけど、文章がおかしい人がたくさんいる」という話を聞いた。「ライターとして食べているなら文章の構成や表現方法がおかしい人がいる」らしい。

僕みたいな素人が文章を書くと基本的に話し言葉(口語)で書く。「今日は着物が着れる」と書いてしまう。「今日は着物が着られる」が正解で、最初の書き方は『ら抜き』言葉となって、正確な表現ではないという。

文章でご飯を食べている人は基本的に話し言葉(口語)ではなく書き言葉(文語)で書く。小説とか脚本のセリフとかは違うらしいけど、それ以外ではちゃんと表現のルールがある。

校正のような仕事をしている人はよくわかるらしい。会話文で「」の文末に句点はつけないのは、本を読んでいるとわかるけど、いざ書いてみるとつけてしまったりしている。三点リーダー…は2つ続ける……など、表現のルールはライター養成講座のような講座を受講すると習うらしい。

ライターとしてお金をもらったことがある人は必ず直しが入るし、会社によっては専用のマニュアルがあってそれでの表現方法を求められるらしい。

基本的なことはエディタースクールの教本などで習える。読んでみると僕はルールを相当守っていないらしいw 
少し真面目に勉強してみようかなと思ったりもする。



話を聞いたWebライターは15年ぐらい前に、こういうライター募集のDMを送って記事を書いてきたらしい。明らかにあやしいのもあるから、そこらへんは気をつけなければいけないし自己責任の範囲らしいけど、1記事がちゃんとした作品としてもらえるまでに10記事以上書いて提出した。

嬉しくて書いては送り書いては送りをしていたら、根負けしたのか、編集者の人が毎回、添削指導をしてくれるようになったらしい。いっぱしの文章が書けるようになったのは何年かしてらしいけど精神的な安定は半端なかったという。



高卒で採用された会社でパワハラをうけて嫌になりながら、それでもと思って勤めていたら心身がおかしくなり、その思いをブログに書いているうちに書くことに興味をもった。

書いていていたら、たくさんの人がいいねとか返事をくれるようになった。それで書き続けたら疲れ始めた。「書くことがお金にならない」というリアルが書いたことによって逆にわかってくる。

お金にならないということは社会的な武器にならないというのもわかってくる。YouTuberが社会的地位を築けるのも、お金が稼げるからでそこらへんがTikTokと違うところというかになる(ライブ機能で稼ぐひともいるけど)。

書き続けていてもただの自己満足の世界で止まってしまうし、会社で嫌なことがあると書けなくなってきてしまう。どうしたら書くことでお金を稼げるかと思った。

書くことでお金を稼ぐためには原稿料としてお金をもらうかアフェリエイト(広告料)でお金をもらうかの二択になる。

原稿料としてもらうとなると、小説の○○新人賞に応募か出版社に就職して編集者になってとなるけど、応募作を書くのに1年を費やしてそれも最終選考に残ってとかを考えると何年も何十年もかかって一握りになるし、出版社に中途採用となると大卒か経験者となるのでそもそも無理なことになる。

アフェリエイトなら自分でレンタルサーバーを借りて運用しなければいけない。その時点でHTMLやCSSの言語関係やWordPress使い方など知識が必然となる。

ブログ製作の知識を覚えてブログを書き始めたとしてそこから人が飛びつくものとか人が欲しくなる記事を書いて、それを購入してもらうように促すにも能力がいる。

人気の記事はグーグル検索の上位にきている。そういう記事は専門的な知識で書かれていないとまず読まれない。

その商品を欲しいと思ってその商品を購入するようにとなれば簡単なセールストークでは無理なのでそこらへんの能力も必要になる。

ガジェット通信やまとめ記事のようにアンテナを張り巡らし、購買意欲の湧くブログを書いてそこにリンクをはる。インスタやツイッターなどのSNSを駆使して情報を発信し、noteでよければ定期購読をオススメして……???

そうなると、それだけの能力があれば会社で働けばじゅうぶんに食べていける。今はそれが出来ていないのに、それでそんな記事がかけるのだろうか?

それどころか会社でなくても、どこかのお店でバイトしても、その能力で繁盛店にすることができるはずだ。アフェリエイトの究極はネットを駆使した営業なのだから、それがうまくいくならOEMで商品を製作して売っても儲かることになって……

そもそもその能力がないから、そのはけ口として無料のブログに思いを書いているのに「無理じゃん」となってあきらめてしまう。堂々巡りが続き、悶々とするを繰り返した。

そんななかでライターと書いてあるツイートをみつけてフォローしていたらライター募集のツイートがあった。そのツイート主の的確な表現方法や指摘に興味をもっていたからすんなりとDMを送ってみた。

記事採用のテストは、お題をだされてそれについて短い文章100~200文字で書く「大喜利の文章版」だった。それにしっかりと落ちたらしく「誤字と表現方法のルールができていない」と指摘された。

それでも何故かその採用者の丁寧な説明に「今回は無理でもまた応募させてもらってもいいですか」とメールをして何回も「大喜利の文章版」を書いてた。

その後に校正の勉強をしたり、文字をキーボードで打ち続けることが楽しくなった。仕事とかでない部分にすごく興味をもった。

結局、「不特定多数の誰かに自分の気持ちを伝えることができるのは書くという行為しかない」とそのライターは言う。

「容姿がよくてとか声がいいとかなら、映像や音声を使ってとなるけど、そんなものなければ、結局のところはたくさんの人に自分の「何か」を伝えるのは書くことしかない」

映像のSNSが拡散していつでもどこでも見れるようになった。小説も聴けるようになり文字を読まなくなっている。ただ人に自分の「何か」をつたえたいのなら書くという行為しかない。

眠れない夜に不意にそのライターの言葉を思い出した……







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