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過去と未来のプログラミング【家族】

リビングで3時のコーヒーを飲みながら、エンジニアの長男がぽつりぽつりとこぼした言葉。
「プログラムは<作ったとおり>には動くけど、<思ったとおり>には動かない。これ、エンジニアあるあるなんだよな~。こう動かしたい、と思ってプログラムを組んでも、その組み方が間違っていたら、そのまますらっと間違いが実行されてしまう……。思ったとおりにならないんだよな~」
「それは大変だねえ」
私はエンジニアの仕事をあまり理解していないので、大雑把な相槌を打ってしまう。長男は意に介さない様子で、
「人生も似てるよなあ。これまでどう生きてきたかが、そのまますらっと今、実行されてる感じ。思ってたようにはなかなかゆかないよな~」
いきなりの人生論に、コーヒーカップを手にした私もう~ん、と考えてしまう。

思えばいつも、私は家族の間での「潤滑油」だった。夫が難なく勤務できるように、長男も次男も健やかに育つように、トラブルがあればできる限り一人で引き受け、自分の予定や都合は後回しにして当然。それができないと「主婦失格」だと勝手に思いこんでいた。

そんな日々が10年も続くと、自分で自分のことが考えられなくなる。
「私は何をしたいのか」ではなく「私は何を求められているのか」が生き方の中心に居座って、家族の役に立てることだけが自分の存在価値だと当時は思いこんでいた。それに応えられなければ大きな罪悪感を抱いてしまうあたり、完全に「依存状態」だったな、と今は感じる。

そんな過去がでん!とあるだけに、長男の「どう生きてきたかが、すらっと今、実行されてる」の言葉がちょっと重い。
何とか自分を取り戻そうと、途中、生き方の進路変更をしたものの、私の中には過去のプログラムが残されたまま。未だに気付かずに「実行」されていることもまだまだ多いような気がしてならない。

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「でもさ、これからもっと良い方へ生きていくことも可能で、それはちゃんと未来へと反映されるんだよな。だから僕の未来はきっと明るい。と、まあそういうことで」
長男はさらりと言ってコーヒーカップを置き、リモート勤務を続けるため自室へと戻って行った。

確かに「これまで」は変えることができないけれど「これから」は今、この瞬間から変更可能。<思い通り>にはゆかなくても、考えて選ぶことはできる。こだわらなくてはならないのは、過去ではなく今。

「さて、ではこれから私は何がしたい?」「次に書くお仕事の記事の、資料集めがしたい」
自問自答をして、晩ごはんの支度を始めるまでの数時間を自分のために使う。
もう潤滑油には戻ってしまわないように。

神社仏閣をとりまく鎮守の森を守りたいと思っています。 いただいたサポートはその保護への願いをお伝えし、参拝の際、奉納させていただきます。