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ボジョレーなのかボージョレなのか

ヌーヴォーの話である。いや君が言ってるのはぬーべーだ。バリバリ最強ナンバーワンである。

どうやら今年もヌーヴォーが解禁になったらしい。最寄りのイオンへ買い物に行くと、売り場の一角に大量のヌーヴォーが積まれていた。デカいノボリには「ボジョレーヌーヴォー解禁!」と大袈裟なプリントがされていた。

僕は一滴たりともヌーヴォーを飲んだことがないが、ノボリを見て考えることは毎年同じだ。

「今年もボジョレー解禁かあ」

とんだ知ったかぶり野郎である。遠い目で呟いてんじゃねぇよ。ツイッターでやってろ。

大きくなった元天才子役をテレビで見かけたとき「愛菜ちゃんももう中学生かあ」と発言することと同じダサさがある。お前は愛菜ちゃんのことを何も知らないし、愛菜ちゃんもお前のことは一切知らない。

つい知ったかぶりをしてしまうのは「解禁」という言葉に脳が錯乱しているからだ。それまで制限がかかっていたものが急に解き放たれるのである。その高揚感といったら他にないであろう。
男性諸君は思い出してほしい。18歳になった途端、TSUTAYAの隅にあるあの怪しいのれんをくぐれたことを。


いやそれは高揚感というよりただの性欲か。

ともかく、何かが「解禁される」ということは、この世に起きるある種の奇跡である。

そう考えると「今年もボジョレー解禁かあ」という響きには、人生の希望と歓喜のようなものを感じる。来年もまた同じセリフを言いたいものである。

ただ、そのためにひとつ解決しておかねばならないことがある。「ボジョレーなのかボージョレなのか」という呼び名論争である。

ボージョレの方がツウな感じがするが、どうにも鼻につく。日常会話で「ボージョレヌーヴォー」とのたまうヤツとは友達になれそうもない。
一方、ボジョレーの方はどことなく可愛げがある。ボジョレーと言う後輩がいたらすき家の牛丼腹いっぱい食わせたい。勝手に豚汁をつけても許す。

ボジョレーorボージョレのように、世の中には他国の言語を無理やりカタカナに当てはめたばっかりに複数の呼び名が生まれてしまったものがある。

キリアン・ムバッペというフランス代表のサッカー選手がいる。彼は日本のメディアから、ムバッペ、エムバペ、エンバペなど複数の呼び名で呼ばれている。彼への取材でインタビュアーが「周りから何と呼ばれたいですか?」と質問した際、彼は白い歯を見せながら、

「キリアンと呼んでくれ」

と答えていた。「爽やか陽キャじゃん。かっこよ」と思った。ファーストネームで呼んでくれなんて我々陰キャは口が裂けても言えないのだ。

爽やか陽キャの言葉を参考にすると、
「ボジョレー」か「ボージョレ」かは気にせず「ヌーヴォー」と呼べば良いのではないだろうか。うん。今日から「ヌーヴォー」と呼ぼう。








「今年もヌーヴォー解禁かあ」









ダサいな。











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