見出し画像

一生忘れない、ビー玉先生。

 私が小学校の高学年だったとき、今までの人生で最もインパクトが強かった先生に出会った。便宜上、その先生を「ビー玉先生」と呼ぶことにしよう。

 私の学級の担任となったビー玉先生は、始業式後、その名の通り、今後1年間はビー玉というポイント制で学級を運営し、具体的には、良いことをやったらビー玉を付与し、悪いことをやったらビー玉を没収すると発表した。

 普通、学級運営においてポイント制を導入するクラスはないだろう。ゆえに、その斬新さに私以外のクラスメイトも皆すごく盛り上がっていたと記憶している。

 それからというもの、宿題を提出したり授業中に発言したりすると、ビー玉がもらえる日々が始まった。子どもの心理としても、それらをすることは当たり前だとする先生が少なくない中で、ビー玉という形で先生から些細なことでも褒めてもらえる学校生活はすごく楽しかった。

 だが、ビー玉を配り続けていると、先生の持っているビー玉も枯渇してくる。それゆえ、ある日、先生が大きめのビー玉を用意してきて、大きいビー玉=小さいビー玉3個で両替できると発表した。
 しかし、子どもの心理として多少大きいもの1つよりも小さくともたくさんある方が総量が多くて嬉しいので、ビー玉の交換が行われる雰囲気は生まれない。
 すると、これを見た先生は「本来小さいビー玉3個分の価値がある大きいビー玉を、今だけ小さいビー玉2個で交換する」と修正した。途端に、誰もが自分の小さいビー玉を新たに導入された大きいビー玉と寄ってたかって交換し出す。

使っていたのと全く同じ小さいビー玉と大きいビー玉。
ビー玉先生としては自費で用意するビー玉代のコストカットになっただろう。


 ところで、勘の良い方は感じただろうが、このシステムは児童間に所有するビー玉の数に応じた格差によるトラブルが起きることは否定できない。また、児童個々人としても所詮与えられるのはビー玉であり、模範的活動をするモチベーションとしての効果も長くは持続しない。

 そこで、学級に銀行制度が導入される。どういうことかと言うと、各人にスタンプ帳が配られ、ビー玉を先生に預けると、その代わりにスタンプ帳に預入れたビー玉の数分だけスタンプを押してもらい、スタンプ帳によって所有するビー玉の数を証明するという仕組みだ。
 このとき、先生は無色透明の容器を用意しており、クラスメイト全員の預金はその中に預けられる。そして、その容器が3回一杯になると、ご褒美として学活の時間がお楽しみ会になることとなった。
 (なお、皆に預金を促すため、再び特別レートが一時に限って採用されたことは言うまでもない。)

見た目は似ているけれど、サイズはこれより大分大きかったかな。
結構声かけ合って協力しないとたまらないのよね。


 そうすると、小学生にとって楽しみでたまらないお楽しみ会を手にするため、学級全体の頑張りが可視化された容器を満タンにするべく、これまではある種個人戦だったビー玉経済に協調性が生まれる。容器があと少しでフルになりそうなときは、宿題を忘れがちな友達に頑張れよと声をかけたし、先生に満杯が微妙なときその判定を何人かで値切ったのはいい思い出だ。

 ちなみに、お楽しみ会に何をしたかというと、これまだ独特だった。ケイドロのような典型的な外遊びもした気もするが、チームごとにペットボトルでいかだを作ってレースをしたり、ミニマーケットをしたりすることもあった。

 ミニマーケットとは、学級で貸し切りにした体育館内に、各人又は数人でお店を出し、各々の得意分野でモノ・サービスを提供したことだ。
 いわゆるお金は先生から事前に一人一人にクーポンが配布されており、お店側が対価として取得したクーポンについては後日、ビー玉に換金される仕組みだったから(自分に配布されたクーポンは自分自身では換金できない)、皆張り切って営業に努めた。
 机を使って店を構える人が多い一方で、段ボールをぶら下げて行商人風に売り歩いている人がいたり、自作の絵を販売するものもいれば折り紙の作品を売るものもいたりと、一人一人が創意工夫に富んでいてこれもまた面白かった。ちなみに、これは確か先生からの提案だった。

 こんな感じで、生徒を褒めるためというビー玉制度の裏には至る所に経済・社会の勉強が散りばめられていた。為替レートや銀行預金による特典、商品の売買等、どれも市場経済でまさに起こっていることだ。
 日本の教育は実生活においては役立たないことばかりだという声もあがるが、その点、私の担任の先生は1年間という長いスパンで資本主義社会のあり様を身をもって学ばさせてくれた。

 もちろん、これは少人数で統率の取れていた学級だったゆえに出来たことで、普通の学級でこれをやろうとすると、児童間トラブルや保護者からのクレームでとてもできないだろう。事実、その先生に卒業後、一度会った時に話をしたが、私たちの代を最後にビー玉制度は取り入れていないという。

 ここで、ビー玉先生のやっていることに対して、批判的な意見を持つ人もいるかもしれない。しかし、そんなことをしたところで先生自身の出世には繋がらないどころか、何かトラブルになればその逆になるだろう。だいたい、自費でビー玉を大量に準備したり、他の学級よりも大分多かったお楽しみ会を約束通りやるために校長先生とおそらく交渉していたりと、相当な教育熱心でない限り、わざわざこんな面倒くさいことをしないはずだ。

 そして何より、私はこれが一因となって、社会の法律や経済の仕組みに興味を持つようになり、今は法学部生となって民法の財産法分野を専攻している。
 傍から見ると、大層奇抜なことをやっていたものだから、先生の肩身も狭かったかもしれないが、私としては本当に感謝しかない。


自著の宣伝











写真:ulleo | Pixabay(2023/3/9)
   ha11ok | Pixabay(同)

サポートを頂けるのも嬉しいですが、スキ・コメントをして頂けるとすごく励みになります!