【大学生】陽キャだと思っても話してみたら案外そうでないことがある
私は小中学生の頃は児童会長・生徒会長を務めたり、高校でも2年次にクラス長を担ったりと、思い返してみれば割と目立つ活動が好きであった。
私は海外生活をしていた時期が長く、ゆえに陽キャ/陰キャという人々を二項対立で分類した区分けなど、日本に帰国するまで知りもしなければさして興味もなかった。しかし、傍からみると私は正真正銘の「陰キャ」らしい。
無論突如そうなったわけではないと思われるが、いわゆる大学デビューに乗り遅れた(はたまた波に乗ろうとしなかった)のが決定打になったのだろう、とにかく私は世間的に見ると「陰キャ」ということだ。
私個人としてはかかる区分ががさつ過ぎると思っていることは置いといて、本論に入ろう.
外形的には「陽キャ」に映る人でも実際に話してみると案外そうでないことがある。
というのは、何時ぞやの私の経験から。何のご縁か、とある大学生のイベントで知り合った数人と、事後、夜通し話し込んだことがあった。
私の記憶によると、その場には男女半々の計8人がいた。女性陣は身なりをちゃんと整えられた雰囲気のある素敵な方々であり、また男性陣もうち2人はさわやかイケメンといった方だった。そして、残った2人は「陰キャ」であり、ただずぼらな私と違って、もう一人の男性はPC系に通じているこれまたすごい方だった。
つまるところ、女性4人と男性2人が「陽キャ」、男性2人が「陰キャ」という構図だ。
かかる構図の下で、始めのうちは彼ら彼女らから放たれているような気がする微妙な距離感を感じていた。しかし、話し込んでいると徐々にその意識は薄れていった。
そして、その中の女性の一人と話していて言っていたのが、金髪に染めているけれどもそれは単なる自分の好みであり、別に自分がパリピみたいなサークルに所属しているわけでもなく、そういった人でもないということ。稚拙な表現だが、そこまで「ウェイ~!」みたいなタイプではないらしい。
話を聞くと、その人は飲みの場でコールをするようなサークルに行っていたこともあるらしい。だが、そういったものがそこまで好んでおらず、その場その場でやり過ごしていたそう。
そんな話は私個人としては意外だった。彼女は私の目には「陽キャ」に映っていたから。しかし、口と耳を介在させると、そうではなかった。
思い返せば、私がかつて東南アジアで暮らしていたときは別にその人の人となりを初見で二元的に区分けすることはなかった。
もちろん全く区分けすることがなかったわけではないが、実際にコミュニケーションと取った上で、outgoing(社交的)とかfriendly(親しみやすい)、optimistic(楽天的)といった風に多元的に区分けしていた。
しかし、日本歴も長くなってきた私も自然と「陰陽」という二元的に人を「外形的」に区分けするようになっていたのだった。
思い返せば、高校時代もあいつは「陽キャ」、こいつは「陰キャ」といったように区分けされていた。しかし、少なくとも私が暮らしていた当時は現地にてそんな区分けがされていた記憶はなく、人を紹介するときは"He is friendly." ”She is kind.”というようにそれぞれを個性的に表現していたと思う。少なくとも、「陽キャ」「陰キャ」的な紹介をしたことは一度もない。
現在、日本では人々は外形的・二元的に判断されている。しかし、それでは人々を正しく表現するには不十分だ。あまりに言葉の豊かさに乏しい。
そして、結果的にそういった概括的区分に悩んでいる人々がいるならば、それを採り入れるべき理由はない。
「百聞は一見に如かず」という有名なことわざがある。しかし、人に関しては「一見」も百聞と大差なく、ゆえに「百聞は一言に如かず」となるべきだろう。
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