ヨシュア記19章 メッセージみたいなやつ
この19章は、それぞれの氏族がどの土地を振り分けられたのかをただひっったすら書かれており、適用が難しい箇所である為、この辺りの章によく出てくる「嗣業の土地」を自分に与えられた職場に置き換えて、考えてみることにしました。
私は今年の4月にとある病院に就職し、人生で初めて社会に出ました。
患者さんのことを祈れるクリスチャンとして、世の光として輝きたい!と希望を抱いていたものの、いざ現場に出ると、辛い予後を迎えた患者さんや祈っても変わらないような現実を目にして、病院は信仰が育ちにくい場所だと思いました。
祈りながら就職先を選んだものの、自分はなぜここに遣わされたのかがわからず、周りの人からの自分の選択へのマイナスな意見が頭に残り、後悔することもありました。
しかし、医療職のクリスチャンがたくさんいること、様々な境遇の中にあるクリスチャンのことを知ると、例え置かれた場所が信仰生活に適さないように見えても、神様は恵みと力を与えてその人を祝福してくださっているのではないかと思うのです。
入職して数ヶ月経ち、少しずつ仕事に慣れていく中で、日常のあらゆる場面で神様の助けがあったこと、自分の信仰の弱さに落ち込んだ時も、神様との関係を見つめ直す大切な時間であったことに気づきました。
このヨシュア記で行われた土地の割り当てでも、信仰を保ちづらい土地、与えられたことに感謝できない土地もあったのかもしれません。
環境が変わると順応するのに時間がかかりますし、今までできていたことができなくなることもあるでしょう。環境が変わったからこそこれまでの自分に疑問を持ち、信仰生活に影響を与えることもあると思います。
しかし、私は就職という転機を経て、環境の変化により自分の信仰が落ち込んでも、神様は力強い愛の御手によって、もう一度立ち上がる機会を与えてくださることを知りました。
神様感謝します。
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