見出し画像

「何も無い」が在った日々のこと。

デンマークのエコビレッジに暮らしていたとき、「ここは、何も無いが在る。」と思った。

どうしてそう思ったのかといえば、ここには本当に、今まで日本には溢れるほどあったものやことが、何も無かったからだ。何も無い場所、そういう場所は、自分で選んで辿り着かない限り、中々無い気がしている。

特に日本の都心に住んでいると、何でもあることが当たり前だ。無いものなんて存在しないのではないか?とさえ思う。100円ショップなどに行けば、自分の想像の範疇を超えたいろんなアイデアが既に商品になっていたりする。人の悩みや困りごと、小さなイライラの数だけ物があるようにも感じる。

また、自分でわざわざ探さなくても、街には刺激的な何かが溢れている。1つのことに飽きれば、また新しい何かがどこからともなく提供される。どんどん新しい食べ物が生まれたり、どんどん新しい商業施設ができたり、新しいお店の形が生まれたり。新しい付加価値がどんどん生まれている。そしてどんどん消費され、また作られの繰り返しだ。

そういうものや、ことが無い場所。周りは自然のみで、スーパーもなければ当然コンビニもない。最寄りのバス停まで徒歩40分。休日はほとんどバスが止まらないから、片道1時間半くらいかけて、"最寄り"のバス停から帰ったこともある。その間誰にも出会わない。ただ道と、平野と、たまに動物が横切るだけ。


何も無い、とはいうけれど、本当に何も無いということではない。便利で、刺激的で、新しいものが何も無いからこそ、際立つ"そこに在るもの"があるのだ。その、ただそこに在るものの美しさに気付いたとき、本当に満たされた気持ちになったのを、今でも良く覚えている。

何も無くても、何も持たなくても、何も生み出さなくても、常に変化しなくても、付加価値を生まなくても、ただそこにいていい。

わたしはそこでそう言われた気がした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?