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24年4月3週 就労延長、濃厚接触者になる、自主隔離

4/6 月曜日

視点を、「失敗したらどうしよう……」という主観的なものから、「今の自分がある程度ちゃんと準備した場合、どのくらいの成果が出るのだろうか」という客観的なものに切り替えてみるのも、不安を手放すためのよい方法です。

これは、「どのくらいの準備をすると、どのくらいの結果が出るか」を調べるという考え方で、「うまくやらなければいけない」と自分にプレッシャーをかけるのとはまったく違う発想です。

そうやって、自分が置かれている状況を遠くからながめて、一つの実験のように考えることができるようになると、とても気がラクになります

水島広子『つい、「気にしすぎ」てしまう人へ』
引用1

今月は就労について頑張らないといけないことがあるのでセルフヘルプ系の本を読むことにした。

この本によると、「完璧」を目指してしまうと、いくらでも「足りないところ」「不安なところ」を思いついてしまうから、「このくらいの準備をすると、実際にどの程度できるのかを知る」ということを目的にすればいいそうだ。

参考にする。

5/7 火曜日

「いつまでもクヨクヨしないで!」「前向きに!」などというポジティブ思考は、実は、心が持つ本来のしなやかさにフタをしてしまうことがあります。

衝撃への反応にしろ、「悲しみのプロセス」にしろ、人間には、それなりに踏まなければならない過程があります。

そこに単にポジティブ思考を押しつけてしまうと、それは必要なプロセスの軽視、ということになってしまいます。

人が本当に前向きに生きていけるようになるためには、きちんとプロセスを経ることが必要なのです。

「いつまでもクヨクヨしてはいけない!」と思ってしまうと、プロセスが混乱したり停滞したり、ひどい場合には逆行したりしてしまいます。

水島広子『つい、「気にしすぎ」てしまう、人へ』
引用2


引用1も参考になったが、引用2の方が今の自分にはしっくりくる。

プロセスとしては「まあ、なんとかなるだろう」という感覚を取り戻す必要があるらしい。

そして改めて引用1と2を読み比べてみて、自分は「なんとかしなきゃ」で動き出そうとしていたことに気がついた。

だから思い切って自分にストップを言い渡した。

もう少し自宅で休んでみよう。
自分はまだプロセスのそこにいるのだと思う。

「なんとかしなきゃ」が「なんとかなるさ」になるまで自宅療養が必要なのだと思う。

そのときこそ実験目線が役に立つはず。


5/8 水曜日
3日前に会った友人からコロナに感染していたと連絡があり濃厚接触者になってしまった。
念のため抗原検査のキットをポチる。

5/9 木曜日
ぷいぷいモルカーとお文具さんの動画をひたすらみる。
コロナの方は症状が出るとしたら感染から5日目(つまり明日)が平均的だそうだ。
非感染か無症状でありますように。 

調べてみたらワクチンの摂取回数が多い人の方が重症化率は低くなるらしい。
自分は従前は医療従事者で人より多くワクチン摂取しているので症状は軽いかもと予想する。いや、希望する。

5/10 金曜日
抗原検査をする。陰性だった。
症状らしきものは全くない。
か、とりあえず5日間自主隔離することにする。

5/11 土曜日 
人と会うことも出かけることもできないので久しぶりにあつ森をやる。外出自粛であつ森をやるとコロナ禍初期を思い出す。でもそれ以外は散歩に行かないだけで普段とあまり変わらない生活。

5/12 日曜日
久しぶりに本が読めた。嬉しい。
あとあつ森が楽しい。


▼今週のふりかえり

▶︎インプット
本:1
映像:2
ラジオ:session、バイリンガルニュース 

▼雑感
就労の悩みから始まって→自宅療養を延長することにして→コロナニアミス→またあつ森を始めた→本読めた→なんか疲れた。 
という感じの週だった。 

でも長らく読めなかった活字が読めるようになったのはやはり嬉しい。

若松英輔さんの『本を読めなくなった人のための読書論』とてもよかった。

本が読めなくなっているということとは、「からだ」からの肌感覚を取り戻せ、という合図なのかもしれません。

情報収集としての読書に「からだ」が拒否反応を起こしているのかもしれないのです。

かつてのように読めなくなっている。それは情報以外のものを摂りいれなくてはならない、新しい「読む」感覚を取り戻さなくてはならない、という「からだ」からの合図かもしれません。

若松英輔『本を読目なくなった人のための読書論』

「情報以外ものを取り摂りいれなければならない」と言う言葉で何か説明しにくいことが「わかった」感じがした。

読む」ことと「書く」ことは呼吸のような関係です。読めなくなっているのは、吐き出したい思いが、胸にいっぱいたまっているからかもしれません。

同前

書くという経験でもっとも重要なのは、「うまい」文章を書き上げることよりも、自分という存在を感じ直してみることなのです。むしろ、「うまく」書こうとしたとき、自分の心をよく感じられないことも分かってきました。

「うまく」書こうとする気持ちが、心の深みへと通じる扉を見えなくしてしまうのです。

同前

何かの種になってくれそうな部分をメモしておいた。

来週は 

①特に目標とかなし。でも本が読めるようになったかもしれないので2冊目3冊目といけると嬉しい。
②あとは絵が描けたらなあ…。手のなまりが気になる。


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