フォトジェニックな二人

 中等部の三年間で三百通余りのラブレターをもらった。市内の中学校の女子生徒の半数近くから十人十色の愛の告白をされた。

 女子中学生の間で僕にラブレターを書くのが謎の流行を見せていたのだ。

「友達同士で先輩からのお返事を見せ合って回し読みするんです。先輩は、字も綺麗だし、お話の内容も面白いから。みんな、本気で先輩とお付き合いできるなんて思ってないんですよ。なんていうか、宝くじを買うみたいな感覚なんです」

 しかし、僕はありとあらゆる手段(手渡し、共通の友人から、郵便、伝書鳩、その他)でもらったラブレターに全部きちんと目を通したうえで丁寧に返事をしたためた。

 どんな理由であれ、女の子が心を込めて書いてくれた手紙を無碍に扱うことは僕の善意と良心が許さなかったのだ。何度も書き直した跡や緊張に乱れた字の線を見ると、彼女らに優しくするのは紳士の義務だとすら思った。

 僕の無関心な親切心は大多数の興味本位な女の子たちの心を優しく温め、ごく少数の真剣な女性たちの心を残酷に傷つけた。

「他に好きな人がいるんですか?」
「いや」
「なら、恋愛に興味がないとか?」

 僕が首を振ると、おおむね女の子たちは両手で顔をおおって走り去った。僕はいつも校庭の裏に一人取り残され、ずいぶんと憂鬱な気分にさせられたものだ。

 女の子からの真剣な愛の告白を断るのは辛い。

 ラブレターをくれる他校の女子生徒と違って、真剣な愛の告白をしてくるのは同じ教室の同級生や生徒会の後輩だ。

 告白される前からなんとなく嫌な予感がし始める。僕が生徒会の仕事で居残りをすると、女の子も決まって僕と一緒に居残りをする。彼女は「もしよかったら」と手作りの(凄く凝った)お菓子をくれたりもする。僕は凄く丁寧に彼女からの申し出を断る。凄く丁寧に、しかし、取り付く島もなくバッサリと。でも、彼女は諦めない。最後に玉砕覚悟で特攻を仕掛けてくる。僕は勝ち目のない戦いを仕掛けざるを得ない彼女らに心の底からの同情を禁じ得なかった。

「先輩は、他にお好きな方がいらっしゃるんでしょう?」
「いや」
「じゃあ、生徒会活動や勉強が忙しいから?」
「そうじゃないんだ」
「なら、どうして?」

 何度か正直に答えかけて、そのたび、僕は沈黙を噛み締めたまま首を振ることになった。

「……先輩、隠さなくてもいいんです。先輩が誰とお付き合いしているのかなんて、みんな知っているんですよ」

 女の子から「彼女」の話題が出るたび、僕は多少むきになって彼女との仲を否定した。もしかすると、いつになく感情的な僕の態度がかえって噂に真実味を帯びさせてしまったのかもしれない。

 しかし、根も葉もない噂や嫉妬や猜疑心で彼女に迷惑をかけるのだけは嫌だったのだ。彼女は僕の――恋愛感情を抜きにした――特別な女性だった。

 僕は、学校の入学試験に上から二番目の成績で合格した。実際は、英語の記述問題で米国英語と英国英語のスペルの違いを減点対象に取られただけでほとんど満点合格みたいなものだったのだけれど、次席は次席だ。

 主席合格者は彼女だった。

 中等部三年間九期の学力試験でも、首位五期を彼女が、首位四期が僕が交互に獲得した。総じて言えば、経済や統計の計算問題では彼女に、政治や哲学の記述問題では僕にそれぞれ分があるようだった。英語と独語は互角だったけれど中国語は彼女が一枚上手で、その分野が僕と彼女との明確な差となっていた。彼女の語学力は十五歳の当時から既にアメリカとヨーロッパとアジアの三つの地域でビジネスを可能な段階に達していた。

 僕は彼女の優れた才能が彼女と無関係な場所で理不尽に損なわれるのが嫌だったのだ。

 しかし、

「先輩は弁護士志望のトップですし、あの人は経営者志望のトップです。お二人とも美男美女ですし、三年間ずっと恋人も作らない。正確に言えば、誰が告白しても必ずあっさり振られてしまうんです。あの人、名門私立大の医学生からのデートの誘いを門前払いって感じで断ったんですよ。私には先輩とあの人は凄くよく似て見えます」

 しかし、僕も彼女に何か奇妙な親近感を覚えていたのは事実だった。

 中等部の三年間、僕と彼女はクラス編成の都合上(僕と彼女が揃うと一つのクラスの平均点が不自然に上昇してしまう)同じクラスになったことはなかった。僕も彼女も一年時から生徒会に所属していたけれど、僕が生徒会長の腹心の部下として他校と合同開催されるイベントのスケジュール調整で校外を飛び回っていたのに対し、彼女は副会長の片腕として部活動の予算管理など地道な事務仕事を片付けていた。中等部の三年間、会長も僕も予算会議の他は生徒会室には寄り付かなかったから、副会長や彼女と喋る機会はまったく存在しなかったのだ。

 しかし、備品の更新予算をめぐり紛糾する予算会議(会長はテニス部派で副会長は吹奏楽部派だった)で、生徒会書記として黙々と議事録を書き留める彼女の横顔を、僕は反対側の席から人目を忍んで静かに眺めたものだ。

 夕暮れの生徒会室に一足先に訪れた夜の先触れのような黒髪や、生活感の希薄な白い肌や、左右の睫毛の本数まで左右対称に見えるほど端正な顔立ちを、僕は一種の芸術品を鑑賞するような気持ちで見詰めた。

 彼女の身長は同年代の平均値とほぼ同じだったけれど、脚の長さは十センチ以上も長かったので、椅子に座ると小顔も相まってとても背が低く見えた。

 しかも、彼女の美貌は宇宙の膨張と同じようにまだ発展途上なのだ。

 いみじくも僕の視線の行方を激写した新聞部(彼らは予算会議の取材で生徒会室への入室を許可されていた)は僕と彼女の不愉快なゴシップを校内にあまねく広める役割を果たした。実際、彼らの写真は実に見事な代物だった。

 夕暮れの生徒会室。紛糾する予算会議。会議に一切興味を示さず議事録を書き留める彼女を物憂げな眼差しで見詰める僕……。

 被写体が彼女と僕でさえなければ、僕も「いい写真だ」と太鼓判を押したに違いない。僕は明くる日の放課後になると溜息混じりに生徒会室の彼女を訪ねた。生徒会の先輩や同級生や後輩や先生は僕が彼女の前に立つとおしゃべりをやめて、しん、と沈黙した。固唾を呑む音がした。

 しかし、彼女は眼鏡越しの視線を手元の書類に落としたまま万年筆を動かす手を止めることなく僕の形式的な謝罪を事務的に聞き流した。

「で?」
「肖像権の侵害だ。君は新聞部を生徒会に提訴することもできる。僕はともかく、君の名誉が問題だ」
「嘘ね」

 と、彼女は言った。

「本当は新聞部の粛清が目的でしょう」
「それもある」
「遊び半分の偏向報道で年度末の予算案をひっくり返されたのではあなたや私の仕事が増える一方だものね。で、根回しは済んだの?」
「君が最後だ」

 三日後、新聞部は生徒の私生活を侵害したとして、生徒会の判断で新聞部と新聞愛好会とに分割され、設備と予算は新聞部に受け継がれた。新聞部に新設された特別編集顧問の初代には彼女が名前を連ねた。

「け、検閲だ! 生徒会による検閲だ!」

 しかし、校内のあらゆる掲示板の利用権を剥奪された新聞愛好会の叫びが一般生徒に届くことはなかった。

 僕らは風紀委員に徹底的に彼らを監視させ、些細なミスから次第に予算を削減し、最後の最後には当時の記者とカメラマンに詫びを入れさせた。そして、高級紙の新聞部と大衆紙の新聞愛好会という役割分担を彼らに与えて再びしかるべき設備と予算を割り振った。

 新聞部は生徒会派、新聞愛好会は反生徒会派でお互いがお互いの記事を批判し合うようになり、無責任なゴシップは急速にその数を減らした。

「こうして社会は日々複雑さを増していくのね」

 彼女は新聞部の記事の不適切な部分にマジックで赤線を引きながら言った。僕は無言で首肯した。

 彼女と話をしたのはそれくらいなものだ。僕は相変わらず生徒会室の外を忙しく飛び回っていたし、彼女は彼女で増えた仕事を他人に割り振るのに忙しくしていた。だから、

「今年からようやく一緒のクラスね」

 高等部の入学式で彼女から話しかけられた時、僕は咄嗟に返事をすることもできなかった。有り体に言えば、僕は彼女が僕を意識してくれていることに驚いたのだ。凄く。

 なんだか急に世界がバラ色に染まった気がした。

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