見出し画像

日本26聖人巡る旅 小ローマ長崎編

2017年にCivitavecchia で和装のマリア様を拝見して、ずっと訪れたかった長崎。
2019年にフランシスコ教皇が来日。
カトリック信者でもないのに、合わせて旅したかったけど…
私より逢いたい方々がいらっしゃるはずと遠慮した。
教皇が長崎の西坂にいらしたらのをTVで拝見してますます、行きたい気持ちが…
そこにコロナ😭で…
二波と三波の間のgo to travelで行く事が出来た。
先ずは、ここへ

大浦天守堂は、パリ外国宣教会のフューレ神父は、1863年1月22日に来崎し、2月14日大浦南山手の居留地に隣接する南山手乙1番(現在地)を入手しました。次いで、8月初旬に来崎した同宣教会プティジャン神父に新築する天主堂の設計図を示し、「二十六聖殉教者聖堂」と命名する考えを伝えました。完成した天守堂は、当時はフランス寺と日本人に呼ばれていたそうです。まだ、禁教令があり在留外国人専用でした。しかし潜伏キリシタンが、フランス寺に来て、私達もキリシタンですと告白した。

ヴァチカンもびっくり250年ぶりの信徒発見です。
「日本に数多くの潜伏キリシタンたちがいた」というニュースが全世界に伝えられた際に、フランスからその記念として贈られた白亜のマリア様↓↓↓↓

撮影はここまで…
天主堂内の大祭壇を正面に見て向かって右側の小祭壇に飾られているもので、創建当時にフランスより持ってこられた。このマリア像が、『信徒発見のマリア像』と呼ばれ、
信徒がマリア様を拝観したいと願ったのがあったりします。
柱がイタリアでは大理石だったり石なんだけど、日本では木なんだなぁ…しみじみ。
イタリアに飢えてる私には、萌え萌えスポットが沢山。ステンドグラス、純銀製のキャンドルスタンドや香炉、ヴァチカン公認マークとか…

一応ゴシック様式。今の価値にして4億円くらいかかったとか。

世界遺産。
しかし…入場料1000円は高い😭写真もNGだし…ヴァチカンは、無料で写真取り放題だぞぉ…😭何故かクーポラに登るエレベーターは有料だが(笑)
今回は、地域クーポン券ありがたく使わせていただきました。
日本で1番カトリック教会が多いのは長崎なんじゃないかなぁ?長崎は、小ローマと呼ばれていたらしい。イタリアに飢えてる私にはちょうどいい。

ヨハネパウロ二世も1981年に来たのね。
私のファーストpapaは彼。ローマで、はじめて生papa みたんだよなぁ…と思い出した

さて本番。
西坂は日本のゴルゴダの丘となったのです。

Civitavecchiaの教会の壁画は、この地なんです。広場の道筋に直線で道に刻まれた日付を発見。

西坂で26聖人殉教

26聖人、ローマで列聖

2月大浦天守堂、献堂式。
3月プジャン神父、信徒発見。

26聖人列聖100周年にイエズス会により、記念碑と記念館が建てられる。

もともと大浦天守堂は、見守る位置に、建てられたらしいが、今は…ビルでみえない。

けっこう、小高い丘上にあるんだけどなぁ…
丘といえば…七つの丘で出来たローマを思い出す。
やっぱり長崎は小ローマ。
その横にある教会 西坂聖フィリッポ教会。

26人の殉教者たちが聖人に列せられて100年目の1962年、メキシコから寄せられた寄附をもとに作られた。
設計は今井兼次氏によるもの。
彼は昭和の初め頃、スペインの有名な建築家アントニオ・ガウディを日本に紹介した有名な人物。
自身がカトリック信徒であったこともあり、信仰と建築が一体となった中世カトリックの世界を実践し続けたガウディの創作方法に心底共鳴した今井氏は、この聖堂にガウディのエッセンスを盛り込んでいる。


9時前の教会は、誰もいなく清い空間でした。ちょっとスペインのサクラダファミリアぽいよね!ガウディ研究者の今井兼次氏だからこそ。モザイクは、殉教者が連れてこられた、京都から長崎までの陶器、メキシコやスペインからの贈り物などで作られているそう。

聖人の骨が里帰りして、安置されてます。みていいとありましたが開けるのにも勇気が入りました。さすがに聖遺骨でも…写メするのははばかれた。

2019年フランシスコ教皇も、この教会にもいらしてた。


何かと私の目の前に現れるイエズス会マーク。

今回は長くなったので、ここまで。

次回は、二十六聖人記念館で萌え萌え に
つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?