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占い師さんの自宅と穴子の話

長いこと編集者をしていたので、普通の人は入れない場所やあえて行かない場所にも、地方都市ではあるけれども、随分と津々浦々までに行くことができた20代だった。

動物園で働いている飼育員のお仕事取材をした時は、象を調教するバックヤードに入って撮影をしていたら、冬場なのに象に水を豪快にぶっかけられたし、誰もが知ってるようなミュージシャンも何人にも会ってインタビューをすることができたし、面白いところではラブホテルの裏通路まで通ったり(お客さんのとは別に通路があるんですよ、びっくり)。

取材で行ってるので、お店の人にとってはお客さんではないし、かと言って身内ではないし、不思議な距離感で突っ込んだ話を聞けるので、ハードな割の給料の安さと楽しさを天秤にかけても、かなり面白い経験ができた。大抵はどんな人に会っても驚かなかったけれども、一番インパクトがあったのは、私が退職する直前に担当になってやり取りしていた占い師さんだ。


この占い師さんは彗星のように盛岡に現れた人で、どんないきさつで関東から盛岡に移住されたのかも、曖昧でよく分からなかった。ほわほわした優しい印象かつ不思議な空気感のある人で、メールでのやり取りが多い中、いつでも穏やかで丁寧だった。当時は占いサロンを持っていて、私自身もタロットカードで占いをしてもらったことがある。「何を占いたいか」と聞かれて、「来年転職したい」と答えたら困った顔をして、「タロットは3ヶ月先までしか占えないんです」と言われた。私も困ってしまって、その時飼おうか迷っていた猫のことを思い出し、「猫を飼おうか迷ってるんです」と聞いたら、おもむろにカードをめくって、そこに出た女王のカードを見てにっこりしてくれた。「猫を飼うと精神的に安定しますよ」と。(そしてもちろん私は猫を飼い、今もその猫は私の精神安定剤であることは間違いない)

その占い師さんは、「この力を広く一般の方に利用してもらいたいので」と言って、ノーギャラでうちの雑誌の仕事をしてくれていた。なぜノーギャラで大丈夫なのかも分からないし、正直、どうやって生計を立てているのかも分からなかった。ほどなくて、事情があってサロンは閉めてしまったけれども、月に一回、自宅近くの駐車場まで掲載誌を届ける際に顔を合わせる、そんなお付き合いだった。

私の退職も間近にせまった時、掲載誌を渡しがてら最後のご挨拶をさせてもらった。路面がツルツルに凍った風の強い真冬で、凍えながらいつもの駐車場で手短に会話をしていた。そうしたら思いがけず、「うちに寄っていきませんか? コーヒーでも飲んでいってください」と言われたのだ。断りきれないの半分、占い師さんの自宅という興味半分、で私はふらふらとついていった。占い師さんの自宅は、ごくごく普通の古いマンションで、ごくごく普通の玄関から上がらせてもらった。

家に入ると、以前あった占いサロンでお会いしたことのある旦那さんもご在宅で、なんとも言えない距離感で私と占い師さん、彼女の旦那さんがソファに腰をかけた。旦那さんも占い師さん同様にニコニコされた穏やかな方で、これまたとても不思議な空気感だった。3人で腰掛けてその空気感に包まれていると、どこからともなく、六角星がついたチョーカーをつけた、いかにも水晶をのぞきこんでいるような「ザ・占い師」みたいなファッションの若い女性がコーヒーを運んできてくれた。旦那さんに「弟子です」と紹介されて初めて、「あっ、この人たちって本当に本気の占い師なんだ…」と私はやっと気づいたのだった。


その後、旦那さんの方が実は霊感が強くて、関東の警察での不明者の捜索にも協力しているなど、いろいろな話をされて、現代の日本でどこまでが本当の話なのか分からないことがたくさんあった。何か狐に化かされているような、浮世離れした体験をしているような、世間では秘密にされている重大な真実を知ったような、そんな時間だった。

そのうちそのマンションに何か違和感を感じ始めた。お弟子さんは知らぬ間にどこかに姿を消していたが、明らかに先ほどの女性ではない、年配と思われる人が咳き込んでいる声がするのだ。長い廊下などない間取りで、その人がいるスペースも見当たらない。そこはかとなく、何人いるかも分からぬ人の気配がひしひしとした。もちろんそれは、心霊現象などではなくリアルに人がいる気配なので、今だったら図太く弟子事情などを聞くところなのだけれども、その時は早く帰りたくてたまらなかった。

件の占い師さんは、ニコニコしながら「うちの旦那さんは料理が得意で、穴子とかもさばいちゃうのよ」と自慢話をされていた。ご夫婦はとても仲が良さそうで楽しそうに話されているのに、私はなんだか背後にうごめく人の気配にずっと気を取られていて、話も上の空になってしまっていた。「今度ぜひ穴子を食べにきてください」と言われて、社交辞令とわかりつつも、本当に穴子のお誘いが来たらどうしよう、と、その後しばらくは悩んだ。



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