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サーカスとお父さんと氷砂糖と柿の剥き方の話

私が小さい頃(というと曖昧だけれども、25年くらい前ね)は、地方都市の娯楽というのはほぼ皆無に等しかった。私は旦那さんと同じ年齢で、東北の決して都会的ではない県庁所在地の出身同士なので、「小さな頃って本当に娯楽がなかったよね」という話をたまにする。

旦那さんは盛岡で生まれ育って、その頃唯一よく遊びに行っていたのが、盛岡市内の公園にあったゴーカートなんだそう。彼のお父さんと友達数人と、休みのたびにそこに遊びに行っていた、という話をつい最近聞いてとても興味深かった。今ではそのゴーカートがあった場所は、ロッククライミングができる公園になっているけれども。

地方都市の風景はどこも一様で、秋田市から盛岡市に引っ越した時も、日本海側の沿岸を鳥取砂丘までドライブした時にも、そう思った。どの地方都市も、街中から少し車で走ると、ホームセンターがあって、すぐに田んぼが広がる。私が子供の頃は、郊外型のショッピングモールなんて、外国のドラマの中だけの話だった。ちょっと山の方に行くと、寂れた動物園があって、その脇にとても規模が小さい遊園地があったりする。地方都市とはそういうものだ。


そんな刺激のない日々でも、年に1回だけ、私が気になって気になって仕方がないイベントがあった。それは全国を巡業しているサーカスが、秋田に来るときだった。当時は有名なサーカス団がいくつかあって、半年に一度くらいはサーカスが来て、テレビCMが流れていた。

私の両親は、イベントごとには非常に消極的で、休日にどこかに出かけるのをとても嫌がっていた。共働きだったし教師というハードな仕事だったため、休日は遠出せずに休むもの、というのが母の方針だった。私はどういうわけだか、猛烈にサーカスに行きたくて行きたくて、数年越しでねだり続けて、どういうわけだかある年、お父さんが私と姉をサーカスに連れて行ってくれることになった(もちろん母は自宅待機)。

ところがサーカス当日に、運悪く姉が高熱を出し、どういうわけだか、父と私の二人でサーカスに行くことになった。末っ子の人はわかると思うけれども、人生でお父さんとお母さんを独り占めできる、という経験が末っ子はとても少ない。もちろん独り占めするならお母さんの方が良いのだけれども、致し方ない、この際、お父さんと二人きりでもいいかとちょっと思った(お父さんごめんなさい)。


お父さんはマメな人なので、まるで遠足のようにお菓子を買い込んで、それを携えてサーカスに向かった。晩婚だった上に、母とも12歳の年の差カップルだったので、当時すでに50代だったと思う。私は7歳くらい、背だけは高いひょろひょろの女の子で、気難しい顔をした50代の父親の不思議な組み合わせだったと思う。

サーカスのテントの前には長蛇の列があって、随分と待たされたのを覚えている。並んでいる時点ですでに疲れていて、その様子を見たお父さんが「ミチコお菓子を食べるか?」と声をかけてくれた。お母さんと一緒だったら、立ったまま外でお菓子を食べるなんて絶対に許されないことなので、私は張り切って「うん」と答えた。バックの中からお父さんがごそごそと嬉しそうに取り出したのは、透明な氷砂糖だったのだ。

そのチョイスが父らしいなと思うのは、戦前生まれの彼にとっては、砂糖はとても嬉しくて特別な食べ物だからだ。甘いお菓子もたくさんあるのに、あの時なぜ、父が氷砂糖を買って持って来ていたのかは、不思議でしょうがない。飴玉のように舐めながら、そのあとかじるとシャリシャリして、強烈に甘かった。ものすごく悪いことをしているような気分になってうっとりした。お父さんは、子犬の餌付けみたいに、私に氷砂糖を与え続けて、なんだか満足そうだった。


長蛇の列がゆったりとテントに吸い込まれて、ようやくサーカスが始まった。あんなに楽しみにしていたサーカスなのに、肝心の私はというと、サーカスはそっちのけで後ろの席に座ったとある人に目を奪われていた。というのも、その人はビニール袋いっぱいに柿を持って来ていて、それを剥いて食べながらサーカスを見ていたのだ(昔ってそういうことする人たくさんいたよね)。

何が面白かったか、というと、柿の剥き方がすごく変わっていたのだった。柿のヘタの部分を残しながら上手に皮を剥いて行って、4等分の切れ目を入れて、ヘタを持ったまま食べられるように隣の子供に渡していたのだ。あまりにもその手際がキレイでうっとりと眺めていたら、よっぽど物欲しそうに見えたのか、その人は「ほいっ」という感じで、私にも剥いた柿を手渡してくれた。お父さんが恐縮してお礼を言ってくれて、私もぽかんとしたまま柿を受け取って食べたのだった。子供の頃の体験というのは恐ろしいもので、今でも柿を剥くときは、その人と同じ剥き方をしてしまう。


結局のところ、あんなに楽しみにしていたサーカスのことはちっとも覚えていなくて、私はサーカスという言葉を聞くと、氷砂糖と柿の剥き方のことを思い出す。お父さんの嬉しそうな顔と、長蛇の列と、氷砂糖と、どこかのお母さんの優雅な手つき。

それにしても、サーカスを見終わって大満足で家に帰ってから、私に大量の氷砂糖を与えたことがお母さんにバレて、お父さんはこっぴどく怒られたそうだ。そこも含めて、それがなんだかお父さんらしいんだけれども。



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