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江島神社でのひと時

これを書いている時、私は小説の取材ということで神奈川県鎌倉市に来ていた。七月中旬に締め切りを控えている小説新人賞に応募するため、二泊三日の時間を使って鎌倉の景色や体験を心とノートに書き残していた。
今日は、その二日目となる。
昨日は現地に着いたのち銭洗弁天でお金を清めていき、そのまま小町通りで心ゆくまで食で満たされていた。
そして二日目となる今日は、目的のひとつである江ノ電に揺られてその感想を拙い詩に表して、果てのない海を橋から眺めたあと、店が立ち並ぶ小道を抜けながら江島神社に着いた。
これは、その江島神社であった話。
私は江島神社については恥ずかしいことに下調べをしておらず、ほとんど直感で回ることになった。
雅で神聖な雰囲気に混ざる形でお邪魔すると、洗濯板のごとく斜めになった石段をゆっくりと登っていく。それを二つほど乗り越えると、神社によくある手を清める場所についた。石で作られた龍が、口からポトトトと水を注いでいる。その周りでは、他の観光客が手を清めていた。
私は隙間に入り込み、日々の創作と乾燥で痛んだ両手を清めた。
清めを済ませて再び石段を登ると、本殿と思われる大きな返津宮が聳え立っていた。青々とした空は日差しも良好で、むしろ少し暑いくらいでもある。辺りではスピーカーから、神社でよく聴くような雅な音楽が響いている。
看板の説明を読むと、江島神社は返津宮、中津宮、奥津宮の三社の総称であり、それぞれの社で海を守護する三姉妹の女神を祀っているとのこと。
辺りを見ると、他にも弁財天を祀っている奉安殿、その隣に建てられた八坂神社、その奥に中津宮と奥津宮があるようだった。
警備員の呼びかけを聞くに八列で並んでいて、それなりに参拝客はいる。左右には大きな松が太い幹を屹立させ、その様はまるで風神雷神。
列に並んで十円を取り出し、順番が回ってくると賽銭し、合掌した。正直、地獄の沙汰も金次第。結局はお金なんだと邪に思ってしまう自分がいたが、どういうわけか賽銭することに躊躇いはしない。
ある程度やることも済ませたと思い、歴史の一枚から去ろうと思っていた時、軽い指先が私の肩をたたいた。
「翔流先生じゃありませんか?」
驚きなどの感情のままに振り返ると、そこには黒い帽子を被り、黒のTシャツに紺色のジーパンを身につけ、白のトートバッグを下げた女の人が立っていた。顔や雰囲気を見るに、私より一つ上?いや、同じ…?
「え?どちら様でしょう…?」
「私、ずっとあなたのブログを読んでいました。あなたのファンなんです。前回更新されたブログも、とても面白かったです」
思いがけない言葉が並び、私はどう反応すればいいのかわからなかった。褒めてくれている、ということは理解できたが、別に私はファンがいるような物書きだとは思っちゃいなかったため、この嬉々とした反応はかえって怖かった。
「あ、ありがとうございます…」
私は返事と共に軽く会釈を返した。
「…すみません。急に話しかけてしまって。私も小説家を目指してるんです。蓮見久遠と申します。本名です」
蓮見さんは軽い自己紹介をした。
「どうも。伏見翔流です」
私も同様に名乗った。
「まさかこんなところで会えるなんて!とても嬉しいです!」
「いえいえ。まさかファンなんて言ってくれる人がいるなんて…。少し、というかかなりびっくりしてます」
「お時間大丈夫ですか?大丈夫ならぜひ少しお話ししたいな〜なんて思ってまして」
「あぁ、それなら全然大丈夫ですよ」
こうして、私は蓮見さんと少しお話しすることになった。
話によると、蓮見さんはこの辺りの海近くに住んでいて、この時期に合わせて実家に帰ってきたのだという。私がブロガーの翔流であると分かったのは、私のスマホに映ったブログのプロフィール画面がちらっと見えたからだという。
私は蓮見さんからの質問の数々をひとつひとつ丁寧に答えていた。私の小説にはこんなものがあって、こんな人がいて、どうやって生まれているのか。我が子の名前の由来を答えるのと同じやり方で。
質問の答えが返るたびに蓮見さんは目を輝かせ、頷き、素人の私の言葉に染み入っていた。
「翔流先生は、ここにはどのようなご用事で?」
「私は、小説の取材をと思って来ましたが、結局食べ歩きの旅になってしまいました」
「それでもいいじゃないですか。先生の作品や記事には先生にしかない言い回しがあって読んでいて飽きないんです。今回だって、きっと面白くなるに違いありません!」
「嬉しいですが、私の場合、とある小説の新人賞に応募する作品でして、こう見えて気合いを入れているつもりなんです」
「そうだったんですね!てことは、本当に先生となるための小説を書きに来たということですね!素敵です!」
こんなのは初めてだった。今日初めて会った人に、返事も用意しきれていないような褒め方をされたこと、その舞台が、まさかの神聖な神社の境内であるということ。色々とカオスではあったが、この空気にどこか楽しさみたいなものを私は感じ始めていた。
しばらく他愛のない話などをした後、蓮見さんに下に友達がいるから会ってほしいと言われ、一緒に石段を下った。初対面の人と降りる石段は、私の中ではどこか現実味がなかった。周りの観光客たちの視線がなんだかじいっ……と熱く、刺し込んでくるのがよく分かった。
「蓮見さんは先ほど、小説家を目指していると言っていましたが、新人賞に応募する予定はありますか?」
降りている途中、私はふと蓮見さんにこんなことを訊ねた。
「私は、これまで何度も書いていて、その度に落選してるんです。父からも「もういい加減にしろ」って言われるほどでして…」
「そうなんですか…」
「でも、私はそんな程度で辞めるほどの気持ちではないです。先生が作家になるのを見届けて、その後に絶対私もなるんです」
そう胸を張る蓮見さんは輝いていた。松の枝と枝から差し込む木漏れ日よりも鮮度をもっているように見えた。そしてその気持ちは、昔の作家になるのに急いでいた私とも似ていた。
「ですが、私なんかの作品を読むより、他の作家たちの小説を読む方が近づけますよ?あなたにとっては先生である私だって、結局はまだ一冊も本を出していない素人。そっちの方がより表現だって堪能でしょうに…?」
「それならたくさん読みました。宮部みゆき、谷川俊太郎、東野圭吾などの現代作家はもちろん、近代古代を生きた文豪たちだって」
「じゃあ、なおさらなぜ私を……?」
私がそう返すと、蓮見さんはそっと口を開けて、自分の本音を打ち明けた。
「やっぱ、同年代の方が物書きをしてるって感じると、自信が湧くんです。作家になるのに年齢なんて関係ない。だれだって、小説家になれるんだって。だからいろんな作家の本を読んで、同じように書いてきました。でも、それは読み返すとどこか猿真似で、「蓮見久遠が書いたもの」とはどうも思えなかったんです。そこで、同世代の人の作品を読んで、どんなふうに書けばいいのかを勉強して、私にも書けるんだって自信を、持ちたかったんです。」
話し終えると蓮見さんは、寂しそうに息を吐いた。それとともに深緑の葉々が揺れ、二人の前髪を靡かせた。
話を聞いて、自分とどこか似ていると思った。
私と蓮見さんは、どこか近いものがある。
私も作家になりたくて、たくさんの作家たちの作品を読み漁ってきた。そうしていると自分でも作品が書ける気になって、湧き先の分からないエネルギーが溢れ出す。しかし書き上がったそれを読んでみると、待っているのは「これでいいのか?」という漠然とした不信感。そんな時期の記憶が、ふっと脳裏に蘇った。
「そこで、もしよろしければ、翔流先生に何かアドバイスがあればな〜…、なんて、突然現れて図々しいですよね…」
蓮見さんはそう言った。
私は先生とまではいかないけれど、何か自分に言えることを探した。決してそんなことを言えた身ではない。それは百も承知だった。けれど、同じ道を目指している同志が路頭に迷っているのを、「そうですか」と済ませることができなかった。
「知っての通り、私は本物の小説家ではないので、何かを教えてあげられるような人間じゃないです。なので正直、アドバイス、なんて言われても、どう言えばいいのか分からない。それが答えです。でも、一つ確かなのは、諦めないことです」
「諦めない、こと?」
「私も作家になりたいためだけに、ここまで書きに書き続けました。その結果、フォロワーや私の小説を好きでいてくれる人が集まってくれたので、やっぱり書き続けることは、近づくのに一番近いアクション?じゃないかと」
こんなセリフを贈ってみたが、果たしてこれで合っているのか?けれど、一番誰かに伝えたいこと。そんな気がした。
「そうなんですね。でも、父親に「お前は作家にはなれない」って言われて…。それがかなりきてるんですよね…」
「そうですか…。でも書くことは好きなんでしょう?」
「それはそうなんですが…」
「なら書くだけですよ。たくさん書く。そして色んなものに触れましょう。三島由紀夫だって言ってました。「体験とは色んなところに隠れている」と。作家に大切なのは唯一無二の経験だと、私は思うんです。今日私がここに来たようにね」
と、私は下手くそに微笑んでみた。すると蓮見さんは、恥ずかしかったのか嬉しかったのか、何かが吹っ切れたのか、くすくすと小さく笑っていた。
「翔流先生って、そんな顔もできるんですね」
「え?どういうことです?」
「いいえ。文字でしか先生を知らなかったので、ちゃんと人間らしい表情があって安心しました」
「えぇ…。それはどういう…」
私たちはもう何も怖くないと笑い合いながら、石段の全てを降り終えた。石段の最後を降りるときは、どこか身体が軽かった。
「あの、ひとつお願いしてもいいですか?」
私は恥ずかしさと緊張で痛みを感じながらも、こう訊ねた。
「え?なんでしょうか?」
「今日のこの時間、小説にしてもいいですか?」
「え、小説に…?」
思いがけない言葉だっただろう。蓮見さんは目を丸くしながら、おどおどとしていた。
「もちろん嫌なら、この話は忘れて下さい。ただ今日のこのひと時が、なんだか私に特別で、少し嬉しかったので。私の言葉が、誰かに届いているって証拠を得られたので」
まるでそれは、好きな人に勇気を出して宛てる告白の台詞のようで、なんだか恥ずかしく、あとで「なんなんだこれは」と自分が言った言葉ながら呆れてしまう。
「そうですか…!私は大丈夫ですよ」
しかし蓮見さんは、はっきりとこう言って快諾していた。
「名前は仮名のほうがいいですか?」
「いや、何もしなくて大丈夫です。このまま。蓮見久遠として、書いてください」
「いいんですか…?あとで編集も効きますが、最初から本名だと…」
「いいんです。お願いします」
こう言われれば、私は頷く他なかった。
「おっそ…。なぁにしてんの久遠…?」
「え待って!久遠が男連れてんだけどぉ!」
鳥居の前では、二人の少女が待っていた。一人は黒の厚底スニーカーを履き、顔よりも大きいたこ煎餅を齧っている茶髪の少女。オフショルダーにミニスカートと、どこか露出が多い。
もう一人は同じ厚底スニーカーの白を履き、白のシャツに薄いジャケットを肩にかけている。腰まで伸びている金髪が印象的。
「ユキ、サワ、この人ブロガーの翔流先生。よく話してるでしょ?その人!」
蓮見さんに紹介され、私はぺこりと小さく会釈した。
「しょうり?しょうりってあの原神の?」
「まぢ?それ本名?ペンネーム?」
「…本名です」
「うっそぉ〜!ご本人降臨やん!」
「え、久遠とはどーいう関係ぃ?」
「えっと、初対面、です…。さっき江島神社内で話しかけられて」
「えっ…、すげぇな久遠」
二人からの立て続けの質問責めに、私はあっという間にパンクしそうになった。これでもし顔を出していたとなれば、さらにもっと押し寄せたりするのだろうか?そう考えると少しゾッとしたりする。
「もう二人とも。先生困ってるじゃん!少し落ち着いてって〜」
「あっははそうだねっ。すみません」
「いいえいいえ。元気があっていいかと」
私は蓮見さんたちと再び会話に花を咲かせた。私の作品関係の話になったり、二人の話になったり、全く関係なくなったり。話をしている中、周りの視線が本当になぜか刺さった。まるで「何やってんだこの人…」と困惑するように。
それはそうとして、四人で会話していると、なんだか最初から出会っていたような感覚になってきて面白い。だが、面白いのは今だけ。まだお互いの全てを教えていないから、お互いどこか気を遣えて、その上で成り立つ居心地良さ。これがもし、関係が深くなっていったら、どうだろう……?
時々そんな考えを挟んでいると、長い金髪のサワさんが左腕のスマートウォッチを覗いた。
「ねぇ二人とも、そろそろ次行く?あのお店そろそろ開くかも」
「え、もうそんな時間なの?」
「そうぢゃん!お腹すいた〜」
私もそろそろ、次の場所へと向かう頃だろう。お腹も空いてくるし、まだまだ書きたい景色が控えている。それに何より、この子達の予定を邪魔するのはよくない。
「では、私もここで失礼します。今日はありがとうございました」
「あっ、そっか…。ありがとうございました!」
「じゃーねー!」
「ではまた」
ユキさんもサワさんも、同じように挨拶をした。
「蓮見さん」
別れる前に、私は彼女を呼んだ。
「はい?」
「頑張って下さい。私は応援してますから」
応援なんて上等なものが言えるかどうか分からず照れ臭かったが、私はそう言ってみた。蓮見さんは二人にからかわれつつも、確かに嬉しそうだった。

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