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会話のタネ③ "適当な相槌"の腕と品を上げる


 Youtubeで動画を投稿している「もののけ」という方がいる。その方の動画に、会話の中の相槌に全然関係ないワードを強引にねじこむ、という動画がある。かなり面白いので時間がある人は見てほしい。

 今回の会話のタネは、相槌。たとえば、自分の好きな話をしているとき、相手の話が聞こえていなかったり、周りが見えなくなるほど熱中する人がいる。そういうとき、こちらがなにか適当に相槌を打ってもバレないと思うのだ。
 といってもあまりにも適当に打ちすぎるとバレる。日常会話の中に「松任谷由実のコアを破壊する槍」なんぞぶちこむとさすがに会話が破綻する。そこで、一見的を得ているようで得ていない、会話の流れとしてはおかしくないけど、実はおかしい、というような相槌を考えていきたい。今回もよろしくお願いいたします。

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 そもそも相槌とは、相手の話を聞いて理解したうえで打つものだと思う。相槌とはいかに相手の話をスムーズに運び、かつ話者のペースをつまらせないかがポイントである。怪訝な表情で相槌を打ったりすると、相手も立ち止まってしまい会話は蛇行する。つまり相手の話を理解している"ような"態度や表情が必要だ。

・「古事記にもそう書いてましたね」


たとえば相手が、ちょっとアカデミックな話をしているとき、カウンターとしてぶつけたいのがこの相槌。アカデミックな話題にはアカデミックな返しを。「古事記」というみんな名前は知ってるけど実態についてはよく知らない引用元を持ち出すことで、『なんか知らないけど古事記にもそう書いてあるんだろう』という謎の説得力を持たせることができるし、相手が古事記ガチ勢でもない限り、古事記のどこから引用したのかまでは訊かれることはないだろう。相槌には"それっぽさ"が必要不可欠なのだ。

・「こち亀にそんな話ありましたね」

世の中のだいたいのことは、こち亀に先を越されている。むしろ世の中で起こったことがこち亀を追随しているのではないかと思うほどだ。こち亀のエピソードの守備範囲は非常に広い。根元がギャグ漫画なので、地獄に行ったり宇宙に行ったりなどの荒唐無稽で非日常な展開が可能であり、現実世界の範疇にとどまらないキャパの広いボーダーレスな相槌を打つことができる。それゆえに、相槌を打たれた側も『こち亀ってすげぇな』と舌を巻くこと間違いナシである。

・「インストかと思いました」


インストというのは「インストゥルメンタル楽曲」の略ですね。前置きがやたら長い話をされたときに使います。相手の話がようやく本題に入ったぽいあたりで使うと効果的ですね。説明するのも野暮ですが一応説明すると、本題に入る前の前口上の部分を、曲で言うイントロ(転じて歌詞のない部分)とし、歌詞のない楽曲であるインスト楽曲に引っかけた相槌です。
 同じ用法で、やたらとイントロが長いことでお馴染み、ASIAN KUNG-FU GENERATIONのRe:Re(2016)を代用してもいいでしょう。対象によって使い分けてください。

・「YOASOBIかと思いました」


上のインストの相槌とは対照に、話が上手なひとに打つ相槌。YOASOBIの楽曲と言えば、イントロが省かれていきなりサビから始まり、キャッチーなサビ、そしてラスサビは転調していき、聴く人を圧倒するパターンが多い。曲で言えば黄金パターンの曲であるが、これは話上手な人に当てはめることが出来る。
 一般的に、最初に結論を持ってくるという話法は効果的とされる。これは就職面接でも叩き込まれる。そしてあとはその結論の根拠づけ。失速させないまま、最後は話をうまくまとめる。かなり良い相槌だと思いますが、かならず「どういうこと?」と聞かれると思うので説明が必要になるでしょう。

・「コロンボですか?」


会話の中で、「しかも」「そういえば」「言い忘れてたけど」のように、どんどん設定や小咄を後出しにしてくる人もいる。これは、単に言及するのを忘れていただけのパターンと、叙述トリックのようにあえて後出しすることで抑揚の効果を生むパターンがあるので、一概に話下手な人に共通する特徴ではないのだが。
 そういうときに打てる相槌がこれ。刑事コロンボといえば、事情聴取の際に「最後に一つ」「最後にもう一つだけ」としつこく食い下がることでお馴染みだ。後から後から話を追加する様子に対してそっと相槌を打ってみよう。

・「May・Jじゃないんだから」


自分の話をせずに、人から聞いたおもしろエピソードや人の体験談ばかり話す人がいる。そういうときに打ちたい相槌がこれ。
May・Jといえば、「カバーソングの女王」という不名誉な(?)二つ名が与えられたほど、カバー曲を多く持つことで知られる。特にアナと雪の女王の時期には映画のヒットともに有名になり、その後もその過剰さがたびたび問題視されていた。
 とまぁ、相槌として使うのはいいんじゃないでしょうか。ほかに「徳永英明かよ」や「宮迫博之のソロアルバムかよ」でもいいですね。

・「三木道山じゃないんだから」


一度ウケたフレーズや、一度した話を延々と繰り返す人がいる。そういうときには三木道山をぶち込んでみよう。三木道山の代表曲と言えば、言うまでもなく「Lifetime Respect」だが、彼はこの曲のアレンジのみで数十曲収録したアルバムを出すほど、こすっている。言い換えれば、誰でも知っている名曲を生み出したすごい人なので、私はリスペクトしている。
 この相槌の亜種で「松崎しげるじゃないんだから」でもいいかもしれない。世代によって使い分けよう。


・「古文の授業?」


中学や高校の頃に、古文の授業をみなさん受けたことだと思う。古文といえば、日本の古文と、昔の中国の漢文、漢詩に分けられる。これらは、現代文の構成と大きく異なる点がある。その代表的なふたつが「レ点の存在」と「省略が多い」ということ。
 レ点というのは、文の流れが上に戻る際にそのサインとして打つ記号のようなもので、漢文、漢詩に使用される。たとえば、「人不学」とある場合、「人不(レ点)学」とすることで、文の意味を通すもの。慣れればなんてことないテクニックだが、日本語ではあまり見ない現象だから難しいかもしれない。
 また、古文は全体的に文脈が省略されることが多い。特に主語や助詞が略されることが多い。これにより話の流れがわからなくなり、誰が誰に何をしているのかわからなくなる。古文の解読をする際には、そういった省略部分の補完して察することが重要であり、私はこれを「メンヘラかよ」と思っていた。メンヘラは察して構文を多用しますからね。

 転じて、話の中で会話が時系列が行ったり来たりしてよくわからなくなってきたり、付き合いの長い関係だからとわかりきっている部分は省略して話すようなときに、この相槌を打つ。いろんなパターンに対応できるので結構有用な相槌であると思う。


 いかがでしたでしょうか。皆さんも適当な相槌の腕と品をあげて、証拠が消えて事件が読み取れなくなる前に暴き出しましょうね。

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