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会話のタネ④ 数量の誇張表現

 「デキる主婦は豆苗を18周目まで収穫する」

 こういう微妙にありそうでないような誇張表現が好きだ。回数や単位を少しイジるだけでこうもシュールなシチュエーションを想像させることができる。

 ということで約8か月ぶりに、このシリーズを更新します。今回のタネは、「数量の誇張表現について」。

 インターネット上のユーモアとして、"回数を誇張して表現する"というのはよく見られる手法である。たとえば、いわゆるTwitter構文などに見られる事例として、文末に「〜すぎて1億回泣いた」とか「〜尊すぎて2億回死んだ」とか、そういうオーバーな表現。言うまでもなくジョークであるが、文末にこういう表現を入れ込むことで「泣いた」とか「尊い」などの述語にあたる部分を強調することができるのだ。
 ほかに「半年ROMってろ」とか「5000兆円ほしい!」などの言い回しも、べらぼうに数字を大きく設定することで生まれるユーモアみたいなものだと思う。

 突き詰めれば、「デカい数字」ってだけでおもしろいのかもしれない。

 さらば青春の光のコントに「ぼったくりバー」というのがある。ただのお会計のシーンなのに、金額の単位を増やしていくだけで徐々に笑いが生まれるという非常に革新的なネタだと思う。コント内では、日常生活で使用しうる数の単位を大幅に超えていくので、登場する数の単位には馴染みなんてものはなく、もはやファンタジーや空想の世界に近い設定だが、リアルな場面と非現実な設定をうまく調合した秀逸なコントであると思う。
 普通に日常生活をしていても「兆」より上の単位を目にすることはあまりない。兆より1つ上の「京(けい)」であれば、スーパー演算コンピューターの名前に使われていたので知っている人も多いと思うが、それ以上はまず使用されることがない。例として、アボガドロ定数は6000垓(がい)らしいが、そんなこと言われてもイマイチピンと来ないし、別におもしろいわけでもない。
 そう思うとさらば青春の光のこのコントは非常に秀逸だ。一般的に認知度が低い数字の単位を、知名度が低いことを逆手に取ることで笑いを生み出している。なんか詳細は知らないけれどそういう世界があるんだろう、と受け取り手に思わせるのもお笑いのテクニックだろう。
 

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 ちょっと趣向を変えてみる。数の単位を増やすということは、経過時間的な長さを演出することもできる。

皆さんが静かになるまで60年かかりました

 たとえば、飲み会や同窓会などの翌日以降に会った人に、「あのあと12次会まで続いてさ〜」というような小ボケを私はよくやる。この前同窓会以来ぶりに会った友人に「昨日267次会でさ〜」と言ったら少しだけウケた。いつまで思い出に浸り続けてんだよという地元愛をも伝えられるいいボケだと思う。
 「いつまでも同じことやってる」って結構面白いのかもしれない。こうやって回数を誇張表現することで、"本来1回か2回で終わるものが冗長に続いている"というその状況を作り出し、お待ちかねのツッコミ「まだやってんのかよ!」を引き出せる。
 少し毛色は違うが、サンドウィッチマンの有名コント「深夜ラジオ」を見てみる。ネタの中盤に、パーソナリティ役の富澤がリスナーからのコメントにツボるシーンがある。それ自体は特にコントの進行に関係の無い小ボケなのだが、コント終盤に富澤が再度同じ小ボケを蒸し返して笑うシーンがあり、そこでリスナー役の伊達が「まだ面白かったのかよ!」とツッコむ。このように時間をおいて再度指摘することで、初めのボケから二度目の蒸し返しまでの間がすべて伏線になる。

 新大阪駅構内にある豚まんの551。あそこはいつ通りかかっても長蛇の列が出来ている。関西在住の私からすればそんなに物珍しいものでもないが、やはり県外の観光客からすれば大阪を代表するお土産なのだろう。
 この列の長さ、待ち時間の長さを比喩にして「新大阪駅の551、列長すぎて2年待ちだった」とかにすれば、割とシンプルでいいかもしれない。私はここにもうひとひねり加えて、「2年前に551に並んだ友達、今日行ったらまだ並んでた」とかにしてみる。時間経過を極端にすることで生まれるシュールなシチュエーションというのは、日常会話の中に一片のユーモアを作り出せるのだ。
 551、美味しいので大阪に訪れた際は是非。
 

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