小学校担任 メンタル危機からどう戻るか
この仕事をしていて、メンタルの危機にあった人は少なくないと思います。
経験が長いのに、全くありませんという人は、男性で力で抑え切れるタイプか、高学年をあまりもっていないか、割と自分の価値観が強く、子供や保護者のせいと思える人だと感じています。
自分はメンタル危機になったとき、人の体験談などに救われました。だから、まず、それを書こうと思います。
1 実例
私も一度、本気で苦しかった年がありました。前年度、5年生の時に男性が担任でうまくいかなくなった6年生でした。その前の年にも、同じ状況で頼まれて、断っていたので、また断るのは悪い気がして、引き受けました。
低学年を担任していて、3人の子育て中で毎日ダッシュで帰っていたのもあり、高学年の様子や、他の先生がみんな断った後だということも、よく分かっていませんでした。
3日目に給食を食べようとしたら、全く食欲がなくて、「やばいかも。」と気づきました。
2 体などに出てくる症状
① 食欲がなくなる。
② なるべく食べるのだが常に下痢気味になる → やせる。お腹と背中がくっつくぞという歌詞がリアルになってくる…。
③ 自分の周りが暗く感じる。楽しそうに話している他の先生たちの頭上は明るいのに。
④ 夜に眠れなくなる。寝ても割とすぐ目が覚める。その分なのか、昼間の会議とかに居眠りをしてしまうことがあった。薬をもらって、少し改善。
⑤ 何かうまくいかないと、すぐに不安が高まり、動悸がしてくる。
3 とった対策
① 管理職に伝える
このときの管理職は、2人とも代わったばかりだったが、真摯に対応してくれた。「東京都でも、1・2を争う大変なクラスだよ。これで、先生が辞めてしまうのは、東京都の損失だ。」本当にそう思っていたかは、わかりませんが、この一言は私を救ったと思います。今でも感謝しています。その後も、週案に記録はつけ、口頭でも困っていることなどの報告はしました。暴力行為がひどかったので、鳴らすと職員室から誰かが駆けつけるベルを用意してくれたり、屈強な支援員さんを探してくれたり、一番大変な子を校長室で預かってくれたりと大きな怪我や事故につながらないように対応してくれました。
② 同僚に伝える
持ち上がりだった同学年の主任は、引き受けたことに感謝してくれ、学年の仕事はなるべくやるからと最初はクラスのことに専念できるようにしてくれました。他の先生方も、自分が辛かった時などの話をしてくれ、今までより、深い話ができました。若い人も先輩も、いろんなことを乗り越えて、今に至ることを知りました。これまで、そう親しくはなかった教務主任が自分の経験を話した後に、「無理しないで(休んでも)いいよ。でも、この1年を乗り切ると、定年まで、大丈夫になる。」と言ってくれたのが、一つの支えになりました。
③授業準備を綿密にする
何か一瞬の隙があると、物が飛んだり壊れたり、誰かがひどいことを言われたりするので、とにかく準備に時間をかけるしかなかった。というか、準備が完璧にできていないと、怖くて前に立てない、動悸がしてくるという状況でした。あの1年は、本当に自分がひたすら、色々なサイトや本に触れ、勉強しました。
④ 家族に伝える
たまたま東日本大震災の年で、夫は仕事が減っていたので、急に帰れなくなった私に代わって保育園のお迎えなどは一手に引き受けてくれました。外に出たくない、人に会いたくないという私の気持ちも伝わっていたと思います。まだ、年少だった娘は急に母が帰ってこなくなったので、保育園で情緒が不安定になっていたらしい…。6年生の息子は、母が弱って、反抗期が一旦止まりました。(息子のクラスも学級崩壊して担任が変わった状況だったので、色々と想像できたのだと思います。)子どもたちにはとにかく申し訳なかったです。私は、家族のおかげで休日には気持ちが切り替わりました。家族がいなかったら、休みの日もずっと考えてしまい、多分ダメになっていたと思います。
⑤ 病院へ行く
大学で心理学を少々やっていたので、結局は気持ちの持ちようなのは分かっていました。言われたことも、割と予想通りでした。でも、わかっていても、電車のホームで、「落ちたら行かなくて済む」と考えたり、笑うことができなかったりする症状をなんとかできるわけではないのです。聞いて納得したのは、野生の草食動物状態になっているのだという話。いつ何が起こるか分からないから、常に神経を尖らせている。当然、長くは眠らないとのこと。薬を使うことは悪くはないとわかったので、眠るための薬を出してもらいました。
長くなるので、今日はここまで。
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