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夜のあさがお 私について(最後に)

私について

 私は、高専に通っていて、場面緘黙症を持っています。だから、私は風菜ちゃんでもあり、お兄さんでもあり、愛翔くんでもあり、小晴ちゃんでもあるということです。

 私が小学二年生のときから、寝る前に考えてきたこの物語の中には、大きい私自身が登場してしまっています。その前までは、小さいふうちゃんが私でした。だけど、私も中学生や高専生になって、小さい自分だけでは満足できなくて、今現在の自分を「夜のあさがお」のメンバーに入れてしまったのです。そうしたら、お兄さんにいろんなことが相談できるし、みんなと遊んだりできるので、いいことだらけだったのです。

 私は、三歳のときに場面緘黙症だと分かりました。年中から行った幼稚園では、お弁当は食べなかったし、トイレにも行けなかったし、始めの頃の先生はすごく大変だったと思います。私も年中の記憶はあまりありません。それから、年長になって、たくさんの人のおかげでいろいろなことができるようになりました。そして小学校に入って、話せるようになるかと思えば、そんなこともなく、一年生の一学期は毎日泣いて通っていました。そして二年生になると、一部の友達には声が出せるようになりました。それでずっと続いたらよかったのに、なぜか分からないけど、また声を出さなくなりました。それは私の人生の中でも大きな後悔です。五年生になって、周りの子が私をどう思っているのか、気になってアンケートに書いた覚えがあります。そこからは、ずっと、みんなと違うことが悩みでした。中学生になったら、話したいという思いが出てきました。卒業間際に言えたのが、「さようなら」のたった一言。それだけで義務教育を終えます。

 高校は、養護学校にするか、本気で考えました。そして今は高専生。新しい環境で、話せるようになることをみんなに期待させていました。けれど結果はだめでした。今は、筆談で何とか休みながら暮らしています。

 私はこの物語を、「夜のあさがお計画」の一環として書きました。その計画というのは、「夜のあさがお」を実際に作ってしまおうというものです。そして、場面緘黙の子を救いたい。私がお兄さんになる。そう思って、この計画を考え出しました。心から、この計画を実現させたいと思っています。

 ここから先は、もしもの話です。もしも、私が今年、単位が取れなくて、留年してしまったら、退学をして「夜のあさがお計画」を本格的に始めたいです。起業するということです。それは失敗するかもしれないし、成功するかもしれません。とりあえず、この一年は頑張りますが、そのあとのことはこんな感じです。もちろん、留年しないのであれば、その方がいいです。自分で選んだところなのだから、ちゃんと五年間行きたいと思っています。

 最後まで読んでもらえてうれしいです。ありがとうございました。

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