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経過報告〜5月4週目〜

 今週はちゃんと5日行きました。テストも受けました。

 月曜日は生徒会に出たし、テストも受けたし、休んだ3日をなかったことにできたと思います。そして火曜日は、担任の先生と話しました。

 要約すると、「先週の火曜日は言い方を間違えたかもしれない」ということでした。note読んでるのかな…とちょっと嫌な気もしましたが、まあこれが私の本音なので、何も隠すことはないと思います。結論は、「これからは嫌だと思ったことがあったらすぐにお互い伝え合おう」に収まりました。

 あと、なかなか生徒会の子やその友達との距離が縮まらない話もして、私から何か書いて渡すことにしました。次の日、ノートに書いて(交換日記にしようと思って)自己紹介とか、仲良くなりたいということを伝えてみました。結果は、いつも話しかけてくれる生徒会の2人にしか返事はもらえなかったけど、木曜日からその男の子に手を引っ張って教室に入れてもらえるようになったので良かったかなと思います。

 金曜日は面談でした。面談に行く前に、担任じゃない先生から、「言いたいことがあったら言うように。言わなかったら損だから」と言われたので、フリースクールでの一件が今でも嫌ですと伝えました。こうやって徐々に、言いたいことが言いたいときに言えるようになっていくといいなと思います。

 これで終わると少ないので、自分でも何を思い立ったのか分かりませんが、私が「場面緘黙症」という言葉を知ったときのことを書きます。

 小6のときでした。話せないことで「みんなと違う」と自覚したのは小5のときでしたが、そのときは周りのみんなが優しくて、誰とでも仲良くしてくれたのであまり気にはなりませんでした。でも小6になると、グループができて、いろんなことで悩む時間も増えて、その延長で話せないことも気になってきたんだと思います。

 家のタブレットで「友達と話せない」と調べると、場面緘黙症という言葉が出てきました。漢字が読めなかったのと、覚え切れなかったのとで、そのあと「場面沈黙(正しくは緘黙)症」と調べて、正しい漢字と読み方も覚えて初めて「ああ、私は1人じゃなかったんだ」と1人でベッドに転がりながら実感しました。自然と涙が出てきました。今は、元・倫理の先生に言われたように、緘黙は病気でも障害でもないと分かっています。ただの一時的な症状です。治るわけでもなく、「声を取り戻す」だけです。でも、当時は障害と書かれているのを見て、安堵と恐怖がありました。

 と、いう感じです。私は、将来は理科の先生になって、夜のあさがお計画も進めて、困っている、孤独な子供たちを手伝いたいと思っています。今の私のような、周りと違うことで悩む子をなくしたいです。だって、多様性は人間が生き残るために生み出した、1つの方法だから。外国では、「みんなと同じ」なんて求められないそうです。そのうち、日本もそんな風潮になればいいな、私たちの世代がそれを担っています。

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