サングラスが欲しい
私はある生きづらさを抱えている。それは「斜視」。
改めて説明するのに再度調べるのも嫌なくらい、私にとっては生きづらさ、障壁だ。
生きづらさを感じる場面は、日常に多く潜んでいる。
人と話すとき、対面で話すと4割の確率で言われる。
「どこみてるの?」
この言葉に深く傷ついてきた。
相手は何も思っていないかもしれない。本当にどこを向いているのか、自分に話しかけているのだろうか、そんな気持ちから素直に言ってくれているのかもしれない。
あとは、写真をとってもらうとき、自分がレンズに目を向けているか不安になる。
私は常に斜視なのではなく、集中力が欠けたとき、あるいは無意識のうちに斜視状態になる。意識された写真(集合写真や証明写真など)ならまだしも、飲み会で寄った状態にいるときに無意識に撮られた写真は要注意だ。
目を正常な状態にもっていくとき、かなり疲れる。一日中正常な目の状態で過ごすことは不可能だ。他の行動に影響が及ぶ。だからひとりでいるときは斜視状態で過ごす。誰にもみられてないから。とても楽だ。
かなり前に私の斜視の状態だと、手術をうけることはできないと言われた。
そのとき、この障害を一生背負っていくことに決めた。
目が見えないわけではないし、障害と認定されているわけではないけれど、私は生きづらさを抱えている。
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