BUMP OF CHICKENというバンド
僕は高校の頃に演奏する楽しさを知り、バンドをやったり、色々な音楽を聞いたり、そこから得られるものはまさに人生の、世の中を生き延びていく上での糧になっています。
はじめは洋楽とか、音がカッコいいものが好きになったけど、だんだん歌詞が重要になってきて、普段言葉で表すことのできない気持ちを言葉にして、まるでしゃべっているかのように心にすっと入ってくるメロディーにのせている音楽に惹かれるようになりました。
この言葉とメロディーという組み合わせは最強で、人間の感情にダイレクトに響きます。そう、まるで呪文のようにガッチリと。あまりにも直接的にストレートなものではセンスがないと思われてしまうかもですが、受け手がそれぞれ自由に自分の状況に合わせて解釈し、共感できる時に、「そう、それ!その感情!そういう時のモヤモヤをよくぞ言葉にしてくれた!」となり、話したこともなく、ただそれを受けただけの他人であっても、救われたとか、これが分かる人と仲良くなりたい、とか世界を拡げるきっかけにもなったり、大きな影響を与えたりするのだと思います。
今は総称SNSというツールがあるので、思いを発信するだけでもできるし、積極的に共感する仲間を開拓することもできますね。僕の場合は、自分のなかで「僕はこんなに感受性があってセンスがいいんだぞ。」と、「だから出世とか、結婚とか、社会的に普通なら求められることを年齢に応じて目指す君らとは違う。」とかで言い訳(カッコ悪いけどこれが生き延びる糧)にしてますが。笑
さて、このメロディーにのせて言いたいことを表現し、伝えて共感を得るということ、これをやりたいのがいわゆるミュージシャンですね。楽器を手にし、ライブで自分を解放する快感を味わってしまった人は、多かれ少なかれそれをやりたいと漠然とした思いがあるはず。でもそれを実現し、維持する環境にずっといることは難しい。
バンドは奇跡の集まりです。まず、一緒にやる仲間が必要。やりたいと思い立った最初に仲間がいてやれる人は少ない。ましてや最初からオリジナルでなんて皆無。バンドを組むというのは人を好きになるのと同じで、普通は探さないとメンバーは見つからない。見つかってもまだ未熟な状態で出来上がる曲はどれも好き、やりたいこと、価値観も全く一緒、やれるだけでいいというのは極めて難しい。そういった場合、メンバーは固まらず、曲を作る人は一人でやっていき、才能を見い出されれば大人から世に出す形を提案され、寄せ集めのバンドだったり、スタジオミュージシャンバックとかで日の目をみたりする。
皆に見て欲しい訳だから関わる人も多くなる。商業的に規模が大きいほどオリジナルの曲を作るというのは、本当に大変です。必ず全てが思い通りにはならない。自分にはない、客観的な意見も消化していかないといけない。
そのすべてが理想どおりの関係を保てるかというと、よく考えれば、人生において土台となる家族でさえ折り合いつけてる部分がありますよね。一人立ちすれば適度な距離感になるから成り立つところもありますし。
なぜこんな話をしたかと言うと、BUMP OF CHICKENというバンドは関わるスタッフ、メンバー、リスナーともにまさに理想の形で存在している(と思われる)ということです。しかも商業的に。これは他のミュージシャンが羨む奇跡の固まりなのです。藤くんの紡ぎだす曲は、ロックバンドなのにみんなのうたになるくらい老若男女問わず普遍的な素晴らしい曲ばかりです。それはソロ名義でも変わらないはずです。でも、バンドは誰がいなくなっても成立しないのがバンドです。素晴らしい曲を土台に更にこのメンバーでなければ出せない音、魅力を最大限に引き上げるスタッフ、単なるファンではないリスナー(あえて言う)があってこそ、更に新たな魅力が加わる。このバンドが好き=その人たちが好き、なのです。ここでいう好きは僕の場合、羨ましいも含まれます。
バンプのメンバー、スタッフ、リスナーはそれを分かっているはず。藤くんがライブが終わっちゃうの寂しいよ、とか最後にMCでなんであんなに怒濤のごとく言葉が出てくるのか、それは本当に今、正にこんなスゲー演出でこんなデカイ会場でこんなたくさんのリスナーに囲まれてライブが出来て、本当に有難いと思ってるんだと思う。そして、幼い頃からの友達とその楽しさを共有でき続けていることに、普通なら疎遠になっていく関係が、昔と変わらない空気感でそれを維持していてくれることに。
憧れと愛は違う、という話を聞いたことがあります。好きなミュージシャン、今度のアルバムはちがうなーとか、あのマンガ、昔は面白かったけど最近はなー、とかは憧れ。好きな人に自分の好みではない面があったと分かった時、それも含めて好きだと言えるのは愛。ただ、愛は普通なら対面コミュニケーションの積み重ねがあって生まれるものですよね。
僕はドラクエとゼルダは内容は吟味せず、出たら買うんですよ。(スピンオフ的なものではなく本流のやつ。)絶対に面白いから。そして面白くなかったことはないんです。ちなみに、どちらも最新作は最高傑作です。面白くなかったことはないと言いましたが、これは今後も断言できます。仮に否定的な意見の部分があっても僕は満足するでしょう。信じているとかではなく、過去の実績から。
これは愛かというと違います。憧れでもないです。モノが対象ならこういう盲目的な感じは分かる気がしませんか?これが人となると途端に感情を無視できなくなりますよね。宗教的だとも言われる可能性が出てくる。
実は好きなバンドの新曲とかは、大丈夫かな好きな感じかなとか思うこともあるんですが、バンプは大丈夫。すぐに昔からある曲の一つに仲間入り。これももう過去の実績から、そういう曲しか出てこないのが分かってる。これも憧れでも愛でもない。経験からくる単なる自分の基準です。
ちなみに、よく昔はヘタだったとか、曲がいいから、声がいいからね、とか言われてたりする気がしますが、メンバー全員めっちゃ才能ありますよ。チャマのベースは曲を理解したベーシストのセンスあるリズムのあてかた、フレーズだし、秀ちゃんのドラムは普通なら難しい間を絶妙につなぐ気持ちいい位置にスネアがくるし、ヒロのギターはメロディアスで曲にガッチリはまる空気を出しつつ、リズム感が要求される結構難しいフレーズも多いし。遊びでやってるシークレットトラックのクオリティでも分かりますよね。ww
BUMP OF CHICKENはこの世で一番くそカッコいいバンドです!批評したり他と比較するようなものじゃない。唯一無二。普通ならそんなこと言わないけど、それだけのものを貰ってる唯一の存在。
一つ気になるとすれば、チャマはバンドのスポークスマンであること。今後どうあるべきかの結論は嫌が上でも見えてしまう。そしてそれはセンシティブなリスナー全員が納得できるものにはならない気がします。うーん、それが見えるその時を迎えたくないが、早くポンツカで一時でもあの羨ましさの一員になりたいし、あれほど心に響く楽しいライブは他になかったからなぁ。心の点滴。
藤くんの音楽の魅力を最大限に引き出し、形にできるのはBUMP OF CHICKENという舟しかない。想像でしかないが、そんなのは議論するまでもなくとっくの昔に結論は出てるはず。ファンではなくリスナーと呼ぶのは純粋に楽曲の提供者とそれをちゃんと聞いてくれる人だから。個々の対面コミュニケーションはなくともお互いに支えあう特殊な関係だから、それを本当に有り難くリスペクトを込めているからだと思っています。
特殊な関係で成り立っている分、逆に傷つけあいがちでもあるのではないかと思いました。情報として飛んでくるだけだから、受けた側はそれに応じた感情を持つけど、結局は何もかも一方的で個別に詳しい弁明をする間柄ではないですからね。向こうもリスナーが好きで深く考えずにやってる何かが、本当はやって欲しくないかも知れないですし、情報があふれる中でも敢えて携帯を手放さないのなら、見たくない、聞きたくない間接的な情報を目にするのも必然。
裏切られたとか思うのは理解できます。いいなー、こんな人達、羨ましいなー、僕も私も聞いてるだけだけどおんなじだよ仲間だよ、って身近に感じるのが魅力だったのに、バンプ好きな人が嫌悪する行為、そういうことができる人なんだという事実を知っちゃいましたからね。嫌だけど事実、それを踏まえてどうなのかは、メンバー、スタッフも含め人それぞれになるのだと思います。そして、いちリスナーとしては、それらに対する対処がどうあれ、それぞれ自分の中で消化されるべきものであると思っています。
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