見出し画像

知らねばよかった、と。

冷え切った冬の朝のキッチン。寝起きの働いていない頭と、まだ開ききっていない目。毎朝のルーティンだから、何も考えなくても身体が動いていく。オート機能を搭載したロボットみたいだ。

ケトルでお湯を沸かしながら、フライパンに点火する。ちりちりと温められたフライパンは、いい音を立ててベーコンの表面を焼き上げていく。焼けていくベーコンを横目に、たまごを取り出してボウルに割り入れる。塩胡椒に、少しの牛乳を注いでかき混ぜた。ベーコンがかりっと焼けたら取り出して、皿にぽんとのせ、次にキッチンペーパーでフライパンの表面を軽くぬぐった。そこへバターをたっぷり。バターが蕩けたら卵液を流し込んでスクランブルエッグにしていく。忙しなく手元が動いて、あっという間に卵が液体から固形に変わっていく。火を止めて、ベーコンのとなりによそったら、さて次はパンをトーストしよう。

食パンをオーブントースターの中に放り込み、つまみを大きく回す。時間設定のつまみの「5」よりも多く回さないと「5」以下に設定できないシステムは昔から変わらないな。オーブントースターは短時間で焼ける食パンを焼くことが多いのに、これは変わらないものか。ずっと何十年と何も変わっていないな、と思った。私はずいぶんと変わったのにね。

今日、オーブントースターに放り込んだのはスーパーで買った一斤168円の食パン。ちょっと前まで、98円の特売品を買っていた。安くてそれなり、腹が満たせればそれでまあいいかとも思っていた。けれど、ある日どうしてもパンが食べたい気分で、特売品もなく、「ああ、ちょっと高いけれどこれを買おう」と選んだものを食べてから、98円の食パンが買えなくなった。パサつきとか、そのものの固さとか、比較対象ができてしまったせいで、もとのパンに戻れなくなった。

知らなければ、それで十分に満足していたはず。生活のクオリティを上げてしまったら、下げることは容易ではない。はじめることは簡単でもやめることはひどく難しいのは、きっと、その味をしめてしまうのだろう。

これは、きっと人間関係でもセックスでもそうだ。それを知らなければ良かったと、思うことがある。知ってしまったが最後、どんどん、もといた場所から離れていって、もとの場所に戻れなくなる。足りない、つまらない、なんて欲張りなんだろうか。求めすぎている。求めるばかりで、誰になにも返せていないのに。

パンの焼き上がる音で彼岸に行っていた意識が引き戻された。こんがり焼けた姿はなんと美しいことか。バターにするか、マーマレードにするか悩んで、今朝はマーマレードに決めた。オレンジ色が鮮やかだ。

さあ、珈琲を淹れて朝ごはんを食べよう。美味しく焼けた一斤168円の食パンを食べて、今日もその思考を飲み込み、ごまかしながら、都合よく私はまた過ごしていく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?