春はあけぼの、入水自殺。

高校生の頃、クラスメイトの何人かでプール掃除をしたことがあった。プール掃除は人気が高いので、抽選で選ばれた3クラスが3日かけて掃除をするルールになっている。私たちのクラスは最終日だったためプール内に泥や藻はほとんどなく、わざと体操服を着ずに、白い半袖シャツと膝上まで折ったチェックのプリーツスカートを履いたまま掃除をしていた。青春っぽくない?と言いながら。
濡れるのもいとわずにホースで水をかけあって、キャーキャー騒ぎながらデッキブラシでプールの底を擦っていた。おかげで制服がビショ濡れになって親にこっぴどく叱られた。
そんなことを思い返しながら私はプールを見下ろした。空が少しずつ白んできたとはいえまだ夜明け前だけど、月明かりに照らされた水面がキラキラと輝いているのがよくわかる。人工的な青がとても綺麗だ。
私はいま、数年ぶりに制服を着てプールサイドに立っている。女子高生じゃないし夏でもないしそもそも通っていた高校のプールでもないけれど。
本当は母校のプールで決行したかったけど、澱んだ緑色の水を思い浮かべるだけで吐き気がして諦めた。幸いここのプールは温水のため、この時期でも塩素で消毒された青い水が張られている。
決行は5時半。あえてこの時期の日の出の時間に合わせた。なんてロマンチックだろう、最高の最期じゃないか。時計を見るとあと10分ほどだった。プールサイドに腰を下ろす。

私は今日死ぬのだ。ここで。

なぜ?と聞かれても困る。あなたは何のために生まれて何をして生きるのですか?と問われてもうまく答えられないように、私も死のうとしている理由もうまく説明できない。それでも人は理由を知らないと気が済まない生き物なので、なぜ、どうしてを繰り返して迫ってくる。
だから、遺書を書いた。よく見るありきたりなフレーズとともに、大衆が納得しそうな理由を捏造して並べた。この中に私の本音が何一つ含まれていないことに気づける人はいるのだろうか。でも遺書は昨日コンロの火で燃やしてゴミ箱に捨ててしまった。
なぜあれほどまでに完璧に偽装した遺書を燃やしたのか、自分でもよくわからない。でも死ぬ寸前の人の行動なんてそんなもんだと思う。意味不明で、合理性なんて持ち合わせていない。だからこそ大胆になれる。怖いものがなくなるからだ。
ただ、火をつけた時のことは、嫌になるくらいしっかりと目に焼き付いている。
小さな台所で手紙に火をつけた。オレンジ色の火はゆっくりと面積を広げていき、バラバラと黒い灰が落ちる。あとで掃除しなくちゃな、なんて思っていると徐々に指先に熱が近づいてくる。パチパチとした音を聞いていると不意に指先に痛みが走った。想像以上に熱く、まだ全部燃えきらないうちにシンクに放り込んでしまった。思い切り蛇口をひねる。少し火傷をしてしまったようでヒリヒリと痛んだ。原型をほとんど失った手紙は、封筒に書いた遺の文字を滲ませて、シンクの底で水音とともに佇んでいた。
その様子を見ていると今すぐ死ななければという強い焦りが生まれた。本当はもっとじっくり準備するつもりだったが急き立てられるような気持ちに押し流され、予定を数日繰り上げてこの市民プールに忍び込んだ。
人差し指はまだ少し痛む。ほんのり赤い指先をぼうっと見つめた。
その時、光がすっと射し込んだ。日の出だ。
太陽へと目を向ける。眩しい。周りが白飛びしている。なにか聞こえてきた。チャイム…?

気がつくと、私は教室の中にいた。左端あたりの席に女子の何人かが集まって下品な笑い声をあげている。皆、セーラー服を着ていた。通っていた中学のものだ。
目をこらすと女子のひとりが誰かの本を取り上げてページを破っていた。また卑しい笑い声があがる。全身に鳥肌が立った。
そうだ、これは、私が中学の時の…。
ゾッとした。それと同時に無性に腹が立った。許せない。自分はずっとこれに耐えていたのか。
ぶん殴ってやろうと腰を上げかけた時、教室のドアが勢いよく開いて誰かが飛び込んできた。中学生の私の手を引き、どこかへと走っていく。慌てて追いかけようとするといきなり床がなくなり身体が水の中に落ちた。


高校生の私と中学生の私が何か話している。内容はわからない、聞こえない。
もがきながらどうにか目を開ける。
廊下の端で高校生の私が、まっすぐな瞳のセーラー服の少女を強く強く抱きしめていた。ごめんね、ありがとう、大丈夫だよ、ごめんね、と繰り返しながら強く強く。聞こえないはずなのにそれだけはわかった。
ああ、やっと報われた。思わずそう呟いた。
これでやっと、やっと死ねる。
水と自分を同化させる。呼吸が苦しくなればなるほどえもいわれぬような多幸感が身体の隅々まで行き渡る。私はまもなく死ぬ。けれどいま、生きてきた中でいちばん幸せで満ち足りた気持ちだ。
自分の未来が明るくて素敵なものだと信じて、自分を殺して生きていた。その未来を掴むために生きていた。実際、私はとても幸せだったと思う。けれど高校を卒業してしまい生きる目的を見失った。それでも生きていた。だって死ぬ理由がないから。家族との関係性も悪くないし友達だっているし大学もバイトも楽しい。けど、違う。
生きていく理由はもうあの時に尽きてしまったんだ。高校の制服を着て死のうとしてるのは、あの3年間が私にとって生きてく理由そのものだったからだ。だからもうどうしようもないんだ。私が私を強く抱きしめて、偉いね頑張ったね、って言ってる姿を見られたからもう充分なんだ。もういいんだ。
さようなら。

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