それは水のように透明な○

物心ついた頃、すでに世界は終わっていた。

どうでもいいほど遠い昔に、この星の表層は空気めいて透明な水で満たされ、陸の生き物は高層都市の名残である建造物の高所でダラダラと余生を過ごすことと相成った。まあつまり惑星全域がもれなく水没都市と化した。らしい。水没してない都市って、なんだろう?

「こんにちは、どうもよろしく」
がかららら。と、居間のガラス戸と網戸をいっぺんに開けてから外の景色に向かって朝の挨拶をした。昼かもしれないが。

景色とはなんの色なのか?この星では濃淡を問わず、青色のことを指す。空と水の色だ。
ずいぶん遠くに薄白い塔が見える以外は、無限の透明が水平線で空と交わっているだけだ。─あの塔は昔、人が出たり入ったり居続けたりしていた建物の先っちょに過ぎないらしい。─


足元の透明は今にも家の中を濡らしそうなほどに、ギリギリの境目で揺らめいていた。

じゃぼん。と、私は右足を水中に差し込んだ。左足は屋内に置いて、両手で窓枠を掴んで重心を固定する。
この状態で、水中の右足を思いっきり蹴り上げる。

「うんッ」

重たい手応えに思わず唸りながら蹴り抜くと、じゃぽっ。と鳴ってから少しの水が中空に跳び、しゃぱぱ。と水しぶきが水面を叩いた。

起きたら必ずやる、私の日課だ。

星の反対側まで、この質量のある透明で繋がっているのだからもう大変。らしい。私にとっては普通なことなのでとんでもなくもなんともない。

私がこんなことを日課にするのには、一応自分なりにちゃんとした理由がある。


生き物が“一倍”の重力を感じずに生きているように。
生き物が普段の呼吸で酸素や二酸化炭素の存在を意識しないように。

生まれた頃から世界を満たしている、私にとって意識するに値しないこの“透明”を、蹴ったり叩いたりかき混ぜたりすることで、“ある”と知覚することで、“ない”状態を想像する助けになれば。そう考えてこの“透明”にちょっかいを出す日課を作った。

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