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時間という形式

昨夜のこと。オンライン読書会で西田幾多郎の『善の研究』を読んだ。その場で話題になったのが「時間というのは我々の経験の内容を整頓する形式にすぎない」(善の研究 99p)というところだった。

今日。今週末開催の「まるネコ堂ゼミ」に向け『中動態の世界』の第4章を読んでいたら「カントによれば、その形式とは時間である。時間という形式が設定されることにより、」(中動態の世界 114p)という一文が出てきた。

昨日の今日でその偶然に驚いた。

時間という形式さえなければ昨日も今日もない。はじまりもおわりもない。

あるのはただいまだけ。永遠にいま。

それに今日、noteにこうやって書くことは、ずっと前からわかっていたはず。

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