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わからないから、わからないへ

何がわからない。どこがわからない。何がやどこがが出てくるにつれて、わかるところとわからないところがぼんやりと浮きあがってくる。それらがきっかけになって言葉がポツリまたポツリと出はじめる。次第に言葉が重なりはじめると対話が生まれる。対話はまた連鎖を生み次々言葉を連れてくる。それらをくりかえしているうちに、いつの間にか世界は動きはじめている。

西田幾多郎「善の研究」を読んでいます。オンライン読書会の形式です。月2回のペースで昨夜44回目を終えました。もうすぐ2年になります。まだ一冊を読み切れていません。超スローペースです。毎回声に出して読んでは立ち止まり、というか立ち往生しています。先生はいません。全員、生徒です。何が正しくて何が間違っているのかも誰もわかりません。ただ、あーだこーだと言い合っているだけかも知れません。これで読めているのか理解できているのか甚だ心もとないです。主催者からしてこうですから。頼りないことこのうえないです。

よくこんな進め方で続いているもんだとおもいますが続いています。それも毎回5人もしくは6人の方に参加いただいています。ほぼ常連さんばかりです。当初は、たまにふらりと新しい方が来られましたが、それも最近は見かけません。呼びかけだけはしているんですがね。その気配はありません。

次回からは、いよいよ最終編の第四編宗教を読みはじめます。楽しみです。年内に読めるかな。わかりません。

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