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少し黄ばんだ白い給料袋から

今日、午前中は9月最後の文章筋トレだった。3人で10分と1時間10分をやった。1時間10分の方は、最初何も書くことがなかった。15分ぐらいただボーッとして過ごした。

ふと、妻の鏡台に置かれていた昔の給料袋のことが頭に浮かんだ。鏡台のある部屋まで行く。そこに置かれた少し黄ばんだ白い給料袋を取り上げる。

中には紙切れが1枚。給与明細だ。見るといくつもの数字が並んでいる。基本給の他にいくつもの手当がある。それら名目とその下に印字された数字をじっとながめる。すると次第にあの頃のことが鮮やかに甦ってきた。

> 2020年9月30日 文章筋トレ 1時間10分(一部加筆修正あり)

妻の鏡台の前にずいぶん昔の給料袋が置かれている。3日前からだ。給料袋は僕が以前勤めていた会社のもので片付けをしていたら出てきたという。懐かしい。白い給料袋の上の方には「給料11年12月分山野還路殿」と、下の方には会社名が印字されている。もうひとつの給料袋は「12年10月分」とあった。

年号は平成だ。平成11年と12年。11年12月分はボーナスで12年10月分はその月の給料だ。給料袋の中には少し黄ばんだ「給与支給明細書」が1枚入っていた。基本給の他に手当の欄にも数字が並んでいる。いろいろあったらしい。らしいというのはほとんど遠い昔のことだからだ。

平成12年といえば退職する3年前になる。この頃は、まだ自分がこの会社を辞めるとは考えていなかった。ただおもしろくない日々を過ごしていた。そんな記憶がある。

会社の先行きも自分の先行きも見えなかった。その頃は労働組合の役員もやっていた。小さな会社だから専任などはいない。兼務だ。昔ながらの労働組合で、春と夏それに冬にも会社と団体交渉をもっていた。業績は悪かった。交渉したからといって目に見えた成果があるわけでもなかった。結果はむしろその逆で労働組合は実際には会社の代弁者のような役回りだった。顔には出さず内心ではそう思いながら組合員に泣きを入れて闘争の妥結をはかっていたというのが実際だった。

内心を組合員に見透かされないためには自分を騙すしかなかった。いまにして思えばそうだった。団体交渉の翌朝はマイクを手に組合員に報告しなければならない。マイクを握る手が年数を重ねるにつれて慣れてくる。この慣れが恐かった。

それに労使の間柄といっても人間だ。長い間同じメンバーで顔を突きあわせていると仲間意識のような空気ができてくる。それは抗いようもなくできてしまう。苦労した。

団体交渉では大きな長机を間に置いて相対しながら互いの言い分を並べあう。その光景はいまでは懐かしい。よくあんなことを3カ月に1度ぐらいの割合で年がら年中やっていたもんだ。若い組合員が呆れるのも無理はない。しかし中高年の組合員に行き場はなかった。

僕ももう若くはなかった。成り行きで執行部に入りそのまた成り行きで役員を書記長を委員長を引き受けた。しかしもうその先はなかった。地場の小さな広告代理店だ。一昔前、少しだけ羽振りがよい時代もあったらしいがもうそんなものはやってこない。誰もが勘付いていた。よかった時代を経験してきた輩が現経営陣であり同時に組合執行部の古株であった。

もうそんな時代は二度とないと気づきながらどうしてよいのかわからない。それが正直なところだった。このままではやがて消えてゆく。ちがいない。いつの頃か、見えない先行きがはっきり見えるようになっていた。

そして平成15年。僕は会社を辞めた。学校を卒業してはじめての会社だった。数えてみれば23年間勤めたことになる。まさか自分がこの会社を辞めることになるとは。そのまさかが現実となった。その会社は僕が辞めた3年後に吸収合併された。実際は倒産だ。中高年の社員は当然のように強い退職勧奨に晒された。辛うじて生き残った人間もいたがそれはそれでずいぶん大変なことになったと噂で聞いた。

僕は僕で会社を辞めたからといって行き場があるわけではなかった。どこか別のところに転職することもなく一人で仕事をはじめた。それも用意周到な計画があったわけではなかった。だから当然のように仕事はなかった。ホント、まったくなかった。

これまでのように毎月の給料を支払ってくれるところはないわけで。僅かな退職金を取り崩し給料袋に入っていない金を妻に渡しつづけた。妻は心配より金が必要だった。長女は高校生で長男は中学生だった。しかしよく辞められたものだ。それによくそれを許したもんだ。

会社を辞めても先行きの見えなさは同じだった。いやもっと見えなくなったのかもしれない。しかし深刻ではなかった。というか深刻になどなってはいられなかった。心配よりも金だ。仕事だ。なりふりかわまず動き回った。動けばそれなりに成果はあった。会社時代とのちがいはここにあった。

会社を辞めてよかったともいえないが悪かったともいえない。ただいまは悪くない。そう思うだけだ。

妻が鏡台の前に昔の給料袋を置いたのには何かわけがあるのだろうか。それがいまは気になる。

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