成人式の夜
Twitterやテレビのニュースで今日が成人式だと気が付いた。成人式なんて過ぎてしまえば胸がちくりとする思い出がある人以外はそっと忘れゆくものだろう。
私の忘れられない思い出を備忘録として少しだけここに綴ろう。
忘れられない思い出なんて言いつつも、美化して忘れていく思い出の方が人はずっと多いから。
大学時代にとてもとても好きだった人は雪国出身。市町村合併前のその小さな街は市ではなく村だった。
彼が村には信号が2つだけだと言ったのは大袈裟だと思っていたけど、初秋にその村を訪れた時にそれが大袈裟でないことを知って笑ってしまった。ぽつぽつとしか存在しない民家を“近所の家”と彼が表現したので「遠くなのに近所・・・・ってシュールだね」と二人で笑った。
『冬には雪景色になるよ。雪かきが大変なんだ』
と彼は言い、私は
「今度は冬に来るよ」
と2つ目の信号機を見つけた後に伝えたと思う。
当時の彼は複雑な家庭の人だったので成人式には出席しないと言った。
反対に私は1年近く前から振袖を家族で何度も見に行き成人式の準備をしていて、私の母もまた複雑な家庭の人なので長女の私にはいろいろしたかったのだろう。見惚れるような美しく身の丈に確実に合っていない総絞りの振袖を用意してもらっていた。当たり前に。
私と母とは友達親子ではなくしっかりとした境界線を引いた親子関係だったが珍しく何かの話題で彼が成人式に出席するのか聞いてきた。
「出席しない。というか出来ないみたいよ。」
そう伝えると
“成人のお祝いをするから我が家に来るように伝えて。成人のお祝いだからお酒も飲むからそのまま泊まりなさい”
と・・・。
当時の母は40代後半。賑やかな成人の日を二十歳の大学生がひとりひっそりと過ごすのがやるせなかったのだろう。今ならそのお節介も理解出来る。
【成人式当日】
父が故障したロボットみたいに全方位から私の写真を撮影する。親ばか。私はそれが恥ずかしく、ぷんすかしながら沢山の友達と成人式に出席した。久しぶりに逢う同級生のスーツ姿と振り袖姿にみんなちょっと変なテンションだったのを覚えている。ちなみに偉い人の話は大好きな彼が家に泊まることにソワソワしてしまって何も心に残っていない。
彼が我が家に来るまで振袖は脱がなかった。帯が苦しくてヒーフーと妊婦のような呼吸で耐えてまでも彼に振袖姿を見せたかったから。彼は彼で私の実家に宿泊するという壮大なミッションに飲み込まれていて私の振袖姿には『おーー』という無難なリアクションで私はまたぷんすかした。
夕食にはうやうやしく“寿”と書かれたたいそうな箸と沢山の御馳走が用意されていた。いつもは食器棚の飾りみたいな存在の切子グラスで日本酒をみんなで少し飲んでたくさん笑ってご飯を食べたけど、終始彼は居心地がいいんだか悪いんだか分からない顔をしていたな。
初めて我が家に宿泊する異性の初代表の彼の布団はがっつり私の部屋とは違う和室に準備されていて、彼がお風呂の間に母から“同じ部屋で寝ることは絶対ダメ”と宣戦布告をうけたけど、二十歳に成りたての男女が(私が)宣戦布告を守ることなどあるわけなく、彼が100回くらい『部屋に戻りなよ』と言ったのを無視してそっと夜中に和室の布団に潜り話し込んで朝方に自室に戻った。
助平なことは二人で迎える成人式の夜にはしなかった。しなくてもその当時はそれが男女の絶対的なものではなくて、男女だけどそれに拘ることさえ知らなかった若い二人だったから。
彼が帰った後に強行突破はバレていて両親からこっぴどく説教されたことを思い出す。
この思い出を彼も成人式の夜にニュースを観ながら思い出しているだろうか?
「ずっと一緒に居ようね」という約束も、「今度は冬に来るよ」という約束も果たせないまま、成人式の何年か後に彼はひとりで雪国へ戻った。
私が見ることがなかった雪がたくさん降る街で今は暮らしている。
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