ショートショート(35話目)Percentage
空は青で繋がっていた。
東京大学の本郷キャンパス内にある石製ベンチに座り、校内のスターバックスで購入したホットコーヒーに口をつける。
目の前には樹齢100年は超えているであろう大木が植えられていた。
木の枝の隙間から太陽の光が差している。
木漏れ日は風が吹くたびに少しだけ形を変えた。
大学に入学して2年半が経っていた。
入学した時の高揚感はすでに喪失していて、僕はただ漠然と転がった時間と共に生きていた。
「あの...」
ふいに話しかけられ、声がするほうを見た。
そこにいたのはショートカットの女性だった。
「あの、隣座ってもいい?」
『いいですけど、あっち、空いてますよ』
僕は向かいにある石製ベンチを指差した。
「こっち側から見る景色が好きなの」
『それならどうぞ』
僕は石製ベンチの端に身を寄せた。
「ありがとう」と言って、その女性は隣に座った。
『この場所はよく来るんですか?』
「早起きしたときだけね」
『じゃあ一緒ですね。僕も早起きした時だけきます』
「どのくらいの頻度で早起きするの?」
『月に1回くらいですね』
「じゃあ同じくらいの頻度だね。そう考えると、今日こうやって一緒になったのはすごい偶然だね」
お互い、30日に1回のペースでここにくるとして、2人がたまたま一緒の日にくる確率は約3%。
ガリガリくんで当たりが出る確率が確かそのくらいだった気がする。
彼女の言ってる《すごい偶然》がどれくらいのことを指すのか分からなかったけど、僕は『そうですね。確かにあまり起きる確率ではないですね』と言った。
考えてみれば、ガリガリくんが当たったことなんて生涯で1回しかない。もっとも僕はガリガリくんよりもピノが好きだったからかもしれないけれど。
「名前、聞いてもいい?」
『相原です。3年の相原岳人』
「私は榎本彩夏。あ、いま4年生。また、ここで会った時は話でもしようよ」
僕は会釈をして、立ち上がった。
『その時はよろしくお願いします』
〜翌月〜
朝7時。
僕が大木の前の石製ベンチにいくと、榎本彩夏はすでに座っていた。
榎本は「ここ、空いてるよ」と言って自分の座っている横を指差した。
僕は榎本の横に座って『すごい偶然ですね』と言った。
「なにが?」
『月に1回しか早起きしない僕と榎本さんが、2ヶ月連続でこうやって一緒になる確率です』
「ああ。どのくらいの確率だろうね」
『コインを10回投げて、10回とも表が出る確率と同じくらいです』
「へー、そんなに凄い確率なんだ」
金木犀の匂いがどこかからした。
季節は秋だった。
まもなく就職活動がはじまる。
企業研究をしても、さして入社したいような会社はなかった。
やりたいこともないし、叶えたい夢もない。
昔から僕はそうだった気がする。
『榎本さんは、やりたいこととかあるんですか?』
「別にないかな」
『それなら、榎本さんは何のために生きてるんですか?』
「なんとなく生きて、なんとなく死ぬ。そんな人生も、いいんじゃないかな」
『そうですね。人生って、そんなものなのかもしれません』
「相原くんは、付き合ってる人とかいるの?」
『いません。だけど、女の子からはモテるので、いつでもデートくらいはいけます』
「きみは嫌なやつだなぁ」
そう言って榎本さんはケラケラと笑った。
『榎本さんは、彼氏居るんですか?』
「半年前に別れて、いまはいないよ」
『別れた原因はなんですか?』
「きみはストレートに何でも聞くなぁ。それがモテる秘訣なの?」
『少し気になったので』
「浮気。私が浮気しちゃったんだ」
『意外でした』
「なにが?」
『浮気です。一途な人なのかなって、勝手に思ってました』
「ああ。人は見た目によらずってね。相原くんも気をつけなよ」
『肝に銘じておきます』
〜翌日〜
秋晴れが続いていた。
本郷キャンパス内のスターバックスでホットカフェオレをテイクアウトした僕は、大木の前の石製ベンチへと向かっていた。
僕の予測が正しければ、彼女はいるはずだった。
石製ベンチには榎本彩夏が座っていた。
僕が『やっぱりいましたね』と言うと、榎本は「バレてたかぁ」と言った。
『コインを5回連続で投げて、全て表がでる確率くらいは僕も容認できます。だけど、10回投げて全て表がでる確率はそうそう容認することはできません』
「きみは頭がいいなぁ」
『一応、東大生ですから』
「最初に君に会った日の翌日から、私は毎日ここにきてる。だから、君さえここにきてくれれば私と会うことになる。確率は1分の1。100%」
『なんで、毎日ここに来てるんですか?』
「元彼とよく、ここに座って話してたんだよね。なんか、懐かしくなっちゃって。私も、あと半年足らずで卒業するから、ここから見える景色を目に焼き付けておきたくって」
榎本は遠くをみるような目をして、そう言った。
『人と人が出会う確率って知ってます?』
「ううん。知らない」
『天文学的確率ですよ』
「そうなんだ」
『ええ。天文学的確率で出会った2人が付き合う確率はもっと低い』
「そうね」
『だけど、付き合ったら、別れるか別れないかは50%ずつです』
「高いね。別れる確率」
『ええ。イチロー選手の打率より遥かに高いです』
「じゃあ、仕方ないね」
榎本彩夏は微笑んだ。
いままでで一番優しい笑い方だった。
続けて、彼女は言った。
「きみは、やりたいこととかあるの?」
『特にないです。人生に意味なんてないと思ってますから。人間もダニもカエルも、ただの有機体です。ダニやカエルに生きる意味がないように、僕の人生にも生きる意味なんてありません』
「ドライだなぁ。きみは」と言って、榎本彩夏は組んでいた脚を組み替えた。
大木の葉がサラサラと揺れていた。
榎本彩夏とは、その後2時間ほど話をした。
僕と彼女はお互いニヒリズムだった。
〜半年後〜
桜の花びらが風に揺られて舞っていた。
先月、榎本彩夏は大学を卒業した。
風の噂で内定率0.5%の上場企業に勤めていると聞いた。
僕は4年生になっていた。
就職活動はいっこうに進まず、ただ茫漠とした日々をやり過ごしていた。
本郷キャンパス内にある石製ベンチに座り、虚空を見上げた。
白い絵の具を垂らしたような雲はゆっくりと風に吹かれて進んでいる。
空を見上げながら、(そういえば、地球に生命が誕生する確率って10の40乗分の1だったっけ?)と、昔なにかの本でみたことを思い出していた。
奇跡の星だな、ここは。
青い空に浮かぶ月を見ながら、僕はそんなことを思った。
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