ショートショート(3話目)左折しかしない男



〜2020年4月〜

拓也とはじめて出会った日は、桜の咲く温かな日だった。

毎朝の散歩が日課の私は、いつも自宅をでて左に曲がって紀伊国(きのくに)公園へいくのだが、その日は右に曲がって紫竹山(しちくやま)公園へとむかっていた。

とても狭いアスファルトの道で、向かいから歩いてきたのが拓也だった。

拓也はジャージ姿で、イヤホンをしていて、競歩の選手みたいに身体を揺らしながら歩いていた。

道が狭かったので、私はなるべく道のはじによった。

拓也は歩く速度を落として会釈をした。

それが、拓也とのはじめての出会いだった。





翌日、私はまた自宅を右に曲がり紫竹山公園に向かった。

すると、同じ道で拓也に会った。

拓也はすれ違いざま、また会釈をした。

そして

「いつも、この道を散歩してるんですか?」

と拓也は聞いてきた。

わたしは

「いつもは紀伊国公園にいくんですが、昨日から紫竹山公園にいってます」

と言った。

すると拓也は

「僕はいつも紫竹山公園にいくんですが、昨日から紀伊国公園にいってます」

と言った。


拓也は、「じゃあ、また」
といって、紀伊国公園のほうにむかった。





その翌日、私は自宅を左に曲がり、紀伊国公園へといった。

紀伊国公園のベンチに座ってると、拓也が公園に入ってきた。

拓也は私に気付き、「やあ」と手を挙げた。

わたしは会釈を返す。

「となり、座っていいですか?」

と、拓也がいい、私は頷いた。

拓也は

桜がきれいですね、とか
最近、急に暖かくなりましたね、とか

そんな、とりとめもない会話だったけど
拓也の隣は居心地がよかった。

私たちはそこで仲良くなり、週末に2人でカフェににいくことになった。

右折から生まれた恋。
それが拓也との出会いだった。


〜2020年10月〜

拓也の右斜め後ろ1mを歩く。

それが2人で歩く時のルール。

拓也は身長が163cmで、私の身長は167cm。

拓也は、身長が私より低いのがコンプレックスらしく、それでこのルールは生まれた。

手を繋げないのは少し寂しいけど、会話は普通にできる。

わたしはいつも拓也の右後ろから話しかける。

拓也は少し右に振り向いて、私に話しかける。

それが、2人で歩いているときの光景。

拓也の近くは、わたしにとってのパワースポット。

いつまでも、こんなふうに幸せが続くんだろうなと思っていた。



〜2023年4月〜

拓也の右斜め後ろ1mを歩く。

それが2人で歩く時のルール。

このルールは3年間変わってない。

変わったのは、拓也との心の距離。

もう、ずいぶんと拓也と話をしていない。

今日はカフェにきたが、拓也はずっと本を読んでいる。

話しかけても無視されることが多くなり、私も話しかけるのをやめた。

ねえ、拓也。

「桜が綺麗だね」とか
「急に暖かくなってきたね」とか
言ってよ。

3年前、私に話しかけてきたみたいに
話しかけてきてよ。

私の想いは拓也には届かない。

この3年で拓也は変わった。

変わったのは、私に対する態度だけでなく、行動もだった。

拓也は、なぜか左折しかしない。

右折すればすぐにつくはずの目的地にも、なぜか左折していく。

どうしていつも左折するのか聴いたことがあるが、答えてくれなかったので、私も聞くのをやめた。

拓也、私たちはもう元に戻れないのかな。




〜2025年4月

朝、紀伊国公園のベンチに座って、私は桜を見ていた。

その日、50歳くらいの女性が
「となり、座っていいかしら?」
と話しかけてきた。

私が頷くと、彼女は私の横に腰掛けた。

「美咲(みさき)ちゃん、でしょ?」

急に名前を呼ばれて、わたしはびっくりした。

わたしが「はい」と答えると
彼女は「やっぱり!写真よりも実物のほうがずっと綺麗ね」といった。

「写真、、、ですか?」
「うん。そう。わたし、拓也の母なんです。拓也の部屋を掃除してたとき、あなたの写真をみつけてね、きっと彼女なんだろうなあと思っていたの」

拓也の母に会ったのははじめてだった。
拓也の母は続けていった。

「それにしても、拓也にこんな素敵な彼女がいたなんてねぇ。あの子、幼い頃からあんまり女の子からモテるほうじゃなかったから、心配してたのよ。でも、あなたみたいな人と付き合えて、拓也は幸せね。」

ここ何年も、拓也とは話しをしていない。

でも、そんなことをいったら、拓也のお母さんを傷つけてしまう。

私は無言のまま、会釈をした。

「それにしても、亡くなってからずいぶん経つわね」

え?拓也のお母さん、なにいってるの。

「まさか、トラックに跳ねられて死ぬなんて、本当にまぬけな最後よね」

え?どういうこと?

「さあて、せっかくだから、いまから紫竹山公園にでもいこうかしら。あなたも一緒にいく?」

わたしは、何も答えることができなかった。

拓也が死んでいる?
じゃあ、わたしがみていた拓也はなんだったの?




〜~拓也の手紙〜〜

こんな風に手紙を書いても、美咲には届かないことはわかっていますが、それでも書きます。
あなたが亡くなってから、3年が経ちますね。
白血病だと聞いた時は、本当にショックでした。

僕のなかで、美咲はまだ生きていて、美咲の幻影を時々みたりします。

美咲にはじめて会った日の朝、いつもは自宅をでて、右に曲がって紫竹山公園にいくのですが
あの日は左に曲がって、紀伊國公園に向かいました。

その日、美咲はたまたま紫竹山公園へむかっていて、いつもと違う僕らの行動が、奇跡的な出会いを生みました。

僕らが出会うのは、運命だったのかもしれません。

はじめて美咲をみたとき、身体中に電撃が走りました。

散歩が終わったあとも、昼間仕事をしているときも、夜眠りにつくときまでずっとあの日は美咲のことばかり考えていました。

翌朝も、僕が選んだ散歩コースは紫竹山公園ではなく紀伊國公園でした。

紀伊國公園にむかって歩けば、もう一度美咲に会えると思ったからです。

僕の期待通り、その日は美咲に同じ場所で会えました。

さらにその翌朝も、僕が選んだ散歩コースは紀伊國公園でした。

その日はいつもの道で会えなくて、すごくがっかりしながら紀伊國公園にいきました。

紀伊國公園のベンチに座っている美咲をみたときは、気持ちが高揚しすぎておかしくなりそうでした。

美咲の隣に座って、なにか話さなきゃ、なにか話さなきゃ、とおもっていたのですが

「さくらが綺麗ですね」とか「今日はあたたかいですね」とか

そんな言葉しかでてこない自分の語彙力の無さに、心の底から自己嫌悪したのが、昨日のことのようです。


美咲がこの世界からいなくなってから、僕はどこにいくにも左折をしていくようになりました。

左折していたら、なんとなく美咲にもう一度会えるような気がするからです。

それと、美咲が亡くなってすぐに、母もトラックにはねられて亡くなりました。

トラックが一時停止を無視して右折をしてきたことが事故の原因だそうです。

一度くらい、母に美咲を紹介すればよかったなと、いまになって後悔しています。

美咲がいなくなって3年。
僕はなんとか生きています。
この手紙が、美咲に届いたら嬉しいです。

桜の花が咲く季節になりましたね。
紀伊国公園の桜も、きっと満開です。
また、美咲と桜がみたいです。



左折しかしない拓也より。

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