「哲学を学べ!!」ではない。人に合わせて哲学を当てはめていくべきなのです。
私は哲学系の記事を過去に何本か書いたことがあります。
改めて読み直してみると、哲学知見のない人にとっては非常に読みづらい内容になっていたなと反省しています。
そもそも、哲学について記載されている文献や書物、ブログなどは前提条件としてある程度の哲学的知見がある人が読む用のものになっています。
デカルトの「我思う故に我あり」の解釈。
スピノザの汎神論の理解。
大陸合理論〜イギリス経験主義の概要把握など。
これらがデフォルトで頭に入っていることを見越して哲学論者たちは文献を書きます。
だから、いつまで経っても哲学初心者は置き去りになっていて、哲学が正しく普及しないのだと私は考えています。
私が哲学者の中で最も敬愛しているルネ・デカルトはかつてこのようなことを述べました。
「哲学がただの言葉遊びに成り下がっていることを残念に思う」と。
デカルトがこの言葉を発してから400年以上が経過しましたが、いまだに世間の哲学に対する反応は変わっていないように思います。
現代哲学者たちは、自身の新たな考えを世に広めることに必至です。
哲学者は名誉や富を手に入れるために、新しい思想を作りたいことは理解できますが、いま世界が求めているものがなんなのかをいまいちど考え直したほうがいいと思います。
いま、世界が求めていることは「なんとなく哲学が大事なのはわかるけど、実生活でどう活かせばいいんだよ?」ではないでしょうか。
世間が求めているのはどう考えても「哲学を用いたオーダーメイド式の提案」であり、この世界をどう定義するかというトップの理論ではないのです。
そもそも、新たな哲学を築かなくとも、過去の哲学者たちはあらゆる世界の問いに対して答えを出してきました。
先人たちの答えが何百年経っても普及しないことに対して、何の疑問も持たない哲学者が多いから、いつまでも哲学はただの言葉遊びとされているのです。
哲学者は真の意味で哲学を普及させる気がない。もしくは、普及させるための方法を完全に間違えています。
数学で例えるのであれば、多くの人が掛け算や割り算ができていない状況なのにも関わらず、哲学者たちは因数分解の解き方を教えているのです。
哲学の普及に必要なことは世間に因数分解を教えることではなく、掛け算や割り算を教えることです。
哲学は何の役にも立たない学問と言われることが多いですが、それは勘違いです。
哲学は非常に実践的な学問です。
ただ、多くの人がその使い方を知らないだけなのです。
英語やパソコンの授業が小学校でもはじまったように、幼少期より私は哲学の授業をしたほうがいいと考えています。
哲学で学べることは大きいです。
例えば、ものごとを細かくわけて見ることができるようになります。
あらゆること、ものごとに対して定義づけができるようになります。
あらゆる悩みは哲学によって消えていきます。
生きづらさを感じやすい現代人にとっては必須科目ではないでしょうか。
さて、ここまで読んでくれた哲学初心者の方に1つ質問を出します。
あなたが生きている理由はなんですか?
答えは無数にあります。
まずは哲学の最初の1歩として、気軽にこれを考えてみてください。
間違えてたっていいんです。
間違えたらアップデートする。
これも哲学のいいところです。
人は道しるべがあるから、歩く方向を決めることができますから、哲学というものは学んで損はないと私は感じます。
哲学に少しでも興味を持った方は、まずはデカルトの「方法序説」を読んでみてください。
哲学に幸あれ。
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