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2022年8月28日に骨折してからの復活までの道のり

ダチョウと呼ばれる木村が個人選手権に出場出来て、優勝する事が出来た理由

お久しぶりです!
サボっておりました。あ、サボってた訳じゃなくて、復活してからちゃんと描きたかったので書くのを辞めてました💦

インスタを見てくださっている皆様はご存知だと思いますが、先日行われた2023日本学生個人選手権において、人生初の日本一を取る事ができました!


昨年の日本学生個人選手権は2位でしたが、まさかのそれを上回ることが出来たので結果は満足です!でも記録は納得いってはなかったです!でもそんな贅沢は言わず、まずは出場出来たこと、そして、優勝出来たことが最高に嬉しかったです!

でわでわ、ここからはどんな壮絶なリハビリ期間だったかを書いていきたいと思います笑

2022年8月28日
四国選手権の4本目に、大事故が起きました。
あの日、調整無しで挑んだはずでしたが、試合前日に疲労を一気に抜いたため、体はキレッキレになっていました。
全日本インカレの調整の為の試合だった為、試合展開、記録をずっと意識して試合をしていました。

3本目の跳躍がファールでしたが、ものすごく感覚がよく、ハマれば6.40までは行きそうって思いました。これが間違いでした。
4本目にいけると思って勝負かけにいってしまい、いつも以上にいい動きができていい飛び出しが出来たのが出来すぎてしまって怖くなってそのまま着地をせずに刺さってしまいました。

吹っ飛んだ時、目の前が真っ白になり、頭の中も真っ白になり、意識が飛びそうになりながら思った事は、タイトル取れるかもしれんかった全カレに出場出来んくなったな。ということだけでした。


監督と4年目最後の全カレ一緒にタイトル取ろうと約束していたにもかかわらず、自分がいけると思ってかけてしまったことがきっかけで、そのチャンスを逃し、沢山の人をガッカリさせてしまったなと言う気持ちと、出れなくなってしまったことが悔しいとかで言い表せれないぐらいショックを受けました。

次の日病院で骨折してると診断され、歩けんぐらいの痛みに襲われ続け、1週間ぐらい家に居ましたが、陸上部の主将をしてた当時は、立ち直ること出来るか分からんけど、ここで腐ってたら主将としても終わりだと思って、切り替えて部員の応援に行きたいと監督たちに無理言って全カレの応援に連れて行ってもらいました。


全カレの応援で部員たちの活躍を見る事が出来たのは本当に幸せな事でした。そして、同級生が大会記録を目の前で跳ぶ姿を見て、自分も出たかった。一緒に最後戦いたかったと本気で思ったし悔しさが倍増しました。でもそれを見て、自分もまだ終われんなと思って治ったら必死に戻してもう1回戦えるようになろう!と、さらに強く思えることが出来ました。

そのまま全カレから帰ってきてたくさんの刺激を貰って、次の日の病院でそろそろ歩いてもいいって言われるかなぁって思いながら診察に行くと、レントゲンの写真を見せられ、骨が剥がれていて手術して引っ付ける方がいいという話になりました。


それを聞いて、あ。終わった。って本気で思いました。せっかく頑張ろ!って気持ちで帰ってきた所だったのに一気に復帰の目処が見えなくなりました。

でも早く治るなら手術して治してやるしかないと思って手術をする事を決め、次の日から入院しました。この時はまだ3週間ぐらいの入院で終わるだろうなと思いながら入院生活を送ってました。

1回目の手術の後から2週間は左足を地面につけることなく過ごしてました。手術2週間後のレントゲンで骨が引っ付いてたらリハビリの調子次第で退院しようと話になっていました。が、、、

2週間後のレントゲンでまさかの引っ付けたはずの骨がまた剥がれてました。
その日に親に来てもらいもう一度先生と親含めて話をし、2度目の手術をすることになりました。


1番左が手術2週間後、真ん中は2回目の手術後

膝を開けてみないとどーなってるかはわからない。色々もしもの話をされて怖い思いをしながら2度目の手術をする事をきめました。
2回目の手術後は無事に骨が引っ付き、ここからやっと退院の目処がたち始めました。

入院期間9/13~10/21
この期間ほんとに長かったです。
ほぼ毎日監督が電話をかけてくれてお話し相手をしてくれていました。ほんとにそれが入院期間の心の支えでした。
ここまでの怪我をしても日本一取ることを諦めれなかった理由は監督と約束した一緒に日本一を取るという夢があったからです。最高の監督と一緒にちゃんとこの夢を目標に変え達成したいと本気で思えたしそう思わせてくれる最高の監督だから最後までついて行こうと思えました。
入院中に、自分の最高に苦手なジグゾーパズルをお見舞いで持ってきてくれたりしましたが、本当に感謝してもしきれないぐらい感謝しかないです🙏

と、まぁ入院生活はここまでで、
ここからはリハビリ+練習の日々でした。

この目標を叶えるため、ほぼ休みなく練習しまくりながら体を戻し、必死に色んな事に向き合いながら練習しました。
その練習についてはインスタ見て頂けたら内容は書いてあります笑
沢山沢山復帰までに泣きました。


上手く走れない。体に力が入らない。タイミングが合わない。その他のプレッシャーと、戻さないといけないという焦りからものすごくしんどくなりほんとに嫌になったことも沢山ありました。



でも、一緒に頑張ってくれる部員たちと、ずっと一緒走ってくれたり力を貸してくれる部員達が居たから腐らずに戻ることが出来ました。本当に皆さんには感謝してます!

みんなが個人選手権は入賞ぐらいでいいよ。なんなら出れるだけで凄いよって言うてくれるなか、自分はそんなんじゃここまで必死にやってきた理由も、ここから頑張るっていうなんの再スタートのきっかけにもならないと思い、死ぬ気で個人選手権は優勝するって気持ちでずっと練習して体を戻してきました。

それを無事達成することが出来、自分の中での良い再スタートのきっかけを作ることが出来ました。ここからまだまだ上がるだけなので、昨シーズンの悔しさをバネに、誰よりも飛躍し、みんなが想像してる以上の結果を今年出せるように死ぬ気で頑張ります!

本当にここまで支えてくれた、監督、両親、同期、後輩に感謝しかないので、これからもその感謝を結果で伝えられるように、返せるように頑張っていきます!

引退まであと2年ちょっと。最後まで最高の監督と共に最高の結果を残せるように頑張ります👍


長々となりましたが、木村の復活記録でした✍️
読んでくださりありがとうございました❣️

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