売上が振るわなかったのはきっと、あなただけじゃないと思う【文学フリマ回顧録5】
2024年5月19日に東京流通センターにて開催された文学フリマ東京38は大盛況だった様子。
長らく使用してきた会場での開催が最終回となり、次回からは東京ビッグサイトへ。
また、初の入場料導入でさまざまな関心が寄せられていた。
そんな文学フリマ東京38について、各種SNSには完売御礼やら輝かしい頒布数を報告する投稿があり、とってもまぶしい。
著名な出店者さんも多く、「○○先生から御本を買えた!」「××の著者である●●さんにお会いできた」なんて、喜びの声も散見された。
入場料の影響で参加者減を不安視する声もあったが、全体としてみれば大きな問題ではなかったようだ。
ただ、一方で思っていたよりも売上が振るわなかった、想定を大きく下回る結果だった、ともすると売上0だった……
そういう人も、相当数いらっしゃるのではないだろうか?
今回の文学フリマ東京へは参加していない身ではあるが、心中お察しする。
だが、売上が振るわなかったのは別に、あなたの作品や活動内容に魅力がなかったからではないと思う。
景気のいい報告ができるのは一部の人
どこにだって、光と影はあるものだ。
光が強くなるほど影は濃くなるし、有名な人が増えてそちらに注目が集まるほど、存在を見落とされる人も増える。
だから、光の当たらない、影側になってしまって悔しい思いをしたのはきっと、あなただけではないはずだ。
イベントが盛り上がり、たくさんの光を浴びている人の投稿内容は拡散され、あちこちで目にする。
それを見て「あんなにたくさんの人がいい結果を出せているのに、自分は全然見向きもされないなんて……」
……と落ち込むかもしれないが、光を浴びまくっている人と自分を比較してはいけないと思う。
光を浴びまくっている人の動向は目立つし、そういう目立つところばかりが並んでいるのを見るとそれが多数派に見えるかもしれないが、実際はごく一部の存在であるはず。
くわえて、結果が思わしくなかった人はあまり胸の内を語らないこともあるし、語ったとしても注目度の低さから広くその状況を知られる機会がない。
結果、売れている人がたくさんいるのに自分は売れないと感じる条件がそろってしまう。
しかし、その結果だけで筆を折らないでほしいと思う。
イベント規模が大きすぎることの弊害
とにかく、文学フリマ東京はイベントとしてデカ過ぎる!
いや、イベントとして成長し、段階的に規模拡大してきた歴史は素晴らしいと思うし、今後もさらなる成長・成熟を期待したいと思っている。
思っているが……大きくなりすぎたがゆえの問題もあり、ユルく楽しむ場には向かなくなっている気がしてならない。
規模の小さいイベントならば、なんとなく会場を一回りして欲しいものがないかじっくり見て回る人とか、受け取った無料配布のペーパーを見て気になったところを再訪問する人とかが結構ある。
しかし、出店数が2000近い規模のイベントとなると、全ての出店者を見て回るのはほぼ不可能。
受け取った無料配布のペーパーも、会場内で当日中に読まれるとは限らないし、読んで頒布物がほしくなったとしても再訪問が難しいケースもある。
あちこち見て回ったあとで疲れてるとか、時間的制約とか、資金力の問題とか……
だから、イベント開催前にどれだけ来場者の心を掴んでおくかとか、当日通りかかった人が足を止めたくなる工夫とか、そういうテクニックがないと、売上を伸ばすのはなかなかに厳しい。
ここはイベントが大きくなったことの弊害だと思うので、是非とも関東に新しい文学フリマ開催地ができて、まったりエンジョイできる規模感の文学フリマが選べる状態になって欲しいと思う。
文学フリマ前橋、カムバック!
横浜、千葉、さいたま、浜松とかもどうだろうか!?
どなたか、該当地域の有志が立ち上がって、文学フリマ○○の事務局を立ち上げてほしい。
逆に文学フリマ東京で満足な結果を出している人は……
逆に、文学フリマ東京で相当数の売上を出せている人、いわば大手出店者と呼べる人は、文学フリマ東京よりも規模の小さい文学フリマでは規模に応じて売上が減少すると考えられる。
だから、他地域の文学フリマは旅行がてらのお楽しみで肩の力を抜いて楽しんでおられたり、そもそも東京1本で十分という活動スタンスだったりすると思う。
頒布物の魅力うんぬんより周りに飲まれてしまう
先述したが、もしも文学フリマ東京に出店して、残念な結果だったとしても、それはあなたの頒布物に魅力がないからではないと思う。
おそらくは、大きく成長したイベントの強大な熱狂の渦に飲まれ、不幸にも光の当たらない影の存在になってしまったのだ。
だから、光の当たる場所へ行けばまた、結果は変わる可能性は大いにある。
もし、都合が許すなら他地域の文学フリマにも旅行がてら出店してみて、規模の違いからくる人の流れとか来場者とのコミュニケーションしやすさとか、そういう部分の違いを確認してみてほしい。
かくいう私も文学フリマ広島に行ってみて、規模が小さいからそれに伴って売上も小さくなるかと思っていたらそうでもないことを体験した。
京都・大阪よりはやや下回るが、規模に比例しないと実感した。
むしろ、規模が大きくなるほど伸び悩むんじゃないだろうか? とさえ感じたのだ。
売上はイベント規模に比例するとは限らない
頒布物の売上はイベント規模に比例するとは限らない。
これは私の持論だが経験に基づいていて、一定以上の知名度ある書き手以外は多くの場合あてはまるのではないかと思う。
(一定以上の知名度ある書き手は、単純に規模に比例した売上を記録できるだろう…)
普段あまり売上数の報告をしないのだが、参考として申し上げると2022年以降、文学フリマ京都および大阪における読酌文庫の頒布部数の合計は10を下回らない結果を残せている。
そして、京都・大阪よりも規模が小さい文学フリマ広島でも10部以上の売上があった!
正直、規模は京都・大阪よりも小さく、初参加であるから片手で足りる程度の部数が売れればいいとこだろうと思っていたのだが……
……じっくり会場内を見て回って、頒布物に目を留めてくださる方が多かったように思う。
では、そんな私が文学フリマ東京へ行ったらどうなるのかというと……
東京に行くと10部の壁が越えられない!
てか、右手で足りr(
2020年秋の出店時については正確な頒布数を記録できていないのだが、コロナ禍でイベントそのものにデバフがかかっている状況下であったから、この時も10部の壁は越えていないと思う。
「気になる!」の数もアテにならぬ…
搬入数を考える際の指標にしているWebカタログの「気になる!」だが、これもなかなかアテにならぬ……
文学フリマ東京では京都・大阪を上回る「気になる!」をいただくが、売上が伴わないのだ!
「気になる!」の数に踊らされて京都・大阪よりも多く搬入し、期待して当日を迎えたら10部の壁を越えられず、持ち込んだほとんどを搬出するのである。
めっちゃ悔しい。
この雪辱×3はいつか絶対、雪がなければ気が済まぬ!
大規模イベントに飲まれない立ち回りを考えねばならぬ
ホームグラウンドではそこそこイケてる売上を出せていると思うし、参加を重ねるごとに出店者としての成長できた実感がある。
でも、東京に行くと鼻っ柱をへし折られるような散々な結果が続く現実……
ひょっとして、私の作風は関東の人にウケないタイプなのかとも思ったが、文学フリマ東京へ出店した際に買い求めてくださった希少な方々からは良い反応をいただいているので、地域的な問題は多分ない。
刺さる人には刺さる、興味ある人は「読みたい」と思ってもらえる作品が書けているはずだ。
ではなぜ、売上という結果に繋がらないかというと、やはり規模に飲まれて存在が埋もれ、刺さる相手に見つけてもらえない状態になっているんだろう。
だから、これほどまでの規模に成長した文学フリマ東京へ参加して、ある程度の売上を求めるならば、相応の告知方法や当日の立ち回りが必要ではないかと思う。
認知度を高める行動が必要か?
まぁ、そんなわけで、過去3度、文学フリマ東京で悔しい思いをしてきた私はよくよく爪を研いでリベンジしたいと考えている。
いわば私は文フリリベンジャーだ。(今思いついた)
とにかく少しでも認知度を高めたい。
しかし「自分を見て、見て!」なアピール方法では人の心をつかめないと思ったから、最近は親切心2:功名心8でやり始めたカテゴリー塗り分けマップで、文学フリマ参加者の気を引けないかと行動を積み上げているところである。
私が書く小説のタイトルを知ってもらうとか、頒布物を購入してもらうとかよりまず、読酌文庫という存在を文学フリマへ参加する人に覚えてもらいたい。
そうすれば「カテゴリーの塗り分けをしている読酌文庫はどんな奴なんだ?」と気にしてもらえるかもしれないし、出店時に冷やかしに来てもらえるかもしれない。
あるいは親切な人なら「いつも便利なマップを投稿している人だから、告知投稿をRPして応援しよう」と思うかもしれない。
……「かもしれない」ばっだがな。
正直、塗り分けたマップを投稿したところで、私の売上が直接上がる作用なんてものはない。
この行動が後々どんな結果をもたらすかはまだ未知数である。
だが、何もしないよりは可能性があるのではと考えている。
自分ではなく他者の利益になることだから、共有して広めてもらいやすいのもポイントだ。
そして何より、活動し続けることが地道だけど確実に認知度を上げる方法なんだと思う。
少なくとも文学フリマ京都・大阪では回を重ねるごとに成長できていて、新刊を楽しみにしていたという人も増えているのだから、継続は力なりということだ。
今回の文学フリマ東京で残念な結果だったとしても、事情が許すならばぜひ、あなたも文フリリベンジャーになろう!
私も来るべきときに備えて試行錯誤を続けている。
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果てしない自由の代償として、全て自己責任となる道を選んだ、哀れな化け狸。人里の暮らしは性に合わなかったのだ…。