見出し画像

9/17




日記だってさ。



・一日が過ぎるのが恐ろしく速かった。何故だろう。明日一ヶ月半ぶりに労働しなくてはならない現実から逃げたいからだろうか。

今のバイト先でも理解不能なミスを幾度となく犯してきたけど、それなりにのびのびと働けているのは偏に店長のおかげだ。といっても寛容というよりは人に怒るのが苦手なタイプなので、心の中でヤバいやつ認定されてそうでたまに切なくなるけど。


・今日も歌った。気づいたら履歴がヨルシカ一色になっていた。ライブの曲も何回か歌ったけど、やはりもっと考えて歌わなければダメだと痛感した。もっと紙に情報を詰めなくては。

ずとまよをいくつか歌った。しかし何を歌ってもACAねさんとの声帯レベルでの性能差に打ちのめされる。地声のような声の張りを以て無理なく歌えるキーが、彼女は普通の人よりもかなり高いところにある。その差が致命的で、私なぞが歌うとどうしても裏声が増えてしまい曲のポップさや勢いが損なわれる。

「ばかじゃないのに」がすごく好きだけど、サビになるとてんで歯が立たなくなる。当たり前だが、あの人に歌われるために誂えられた曲たちという感じだ。本当にすごい人だなぁ。


・本を読むのが苦手だ。世の中それを鑑賞することに何の苦も感じない人が大勢いるが、私は大の苦手だ。情報量の多さにおいてけぼりになるし、集中力がないのですぐに目が紙の上を滑ってしまう。頭が悪くて隅々まで堪能し尽くせないし、無能な完璧主義なのでそんな敬意のなさで作品に触れるのは失礼だと思ってしまう。

更に記憶力も低く、過去に読んだ小説の内容を綺麗に忘れていることを自覚した時などはとんでもない虚無感に駆られる。そんな感じなのでもう本を嗜むことを趣味にするのは諦めた。本当に文学部生なのだろうか。


・そんな私が高校生の頃から擦り切れるくらい読んだ話があるのだが、それをモチーフに曲を作りたいなどと思い始めた。理由はおそらく、最近のナブナさんがあまりにも文学を土台に曲を作るから。今までも彼の曲からは噎せ返るような文学の匂いがしていたが、「又三郎」「老人と海」「月に吠える」と来たらもう私も負けじと私の愛する文学で曲を作らなくては!と対抗せざるを得なかった。何と戦っているのか?どうしてそうなるのか?何もわからない。


・作曲のことは何もわからない。ピアノもアコギも、自分の手で奏でたいと思う一曲をコピーして終わってしまったのでなんの知識もない。歌詞も書いたことがない。今どきは作曲にもソフトなんて使うのかもしれないが、32bit版のwindows7でアップグレードもできないようなオンボロPCでは大抵のことが出来ない。(絵ではそれでかなり苦労した)

更にいえば度を超えた情弱だし、勉強が嫌いだ。私の頭で今の大学に入れたことは本当に奇跡以外の何物でもない。極めつけは飽きっぽい。脳内をアウトプットしたい!なんて爆裂エネルギーを糧に頑張れることはあるが、あまりにも未知の領域すぎてかなり先行きが怪しい。

まぁやるだけやってみるか。この調子で門をくぐるともれなく蟻地獄にはまってしまうことはイラストやアニメーションで学んだけど、時間はいくらでもあるし。暇つぶしだ。


・前回の日記の文字数が2000字に迫っていた。ここ最近、何故か書く量もスピードも段違いに上がっている。投稿してはいないが昨日と一昨日(あとから見返したら一昨日は投稿していた。投稿しなかった14日の分と勘違いしていた。徹底しすぎでは?)もしっかり日記を書いたし、今だって本当はあと1500字分くらいは書きたいことがある。

いくら記録が好きとはいえこんなものを量産して何になるという気もするし、今月の投稿数があまりにも多いので調整のために数日投稿を休みたいのだけど、気づいたらなにか文を書いてしまっている。こわい。私はこの強迫観念に近い衝動をよく知っている。この類の炎は、なんの前触れもなく突然冷や水をぶっかけられて鎮められてしまうのだ。

愛するものを愛し続けたい私の意に反して、特に理由もなくその情熱が失われてしまう。そんなことが人生の中で数え切れないくらいあった。こうして文を書くこともそうなのだろうか。

ならば尚更ここらでブレーキをかけなくてはいけない気がする。でも私は基本的に欲望に忠実すぎる人間なので、やはり書かずにはいられない。どうしたものか。


・マルちゃん正麺の袋坦々麺が美味しすぎて、一週間欠かさず毎日食べてしまった。今日二袋追加で買ってきたので、二週目も全通することが確定済みだ。坦々麺という概念、もれなく美味しくて困る。せめて私の胃袋にもう少し優しくあれ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?