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なんとなく言っている言葉は、人を傷つける

歳を重ねたら、年下の人と話すことが増えた。
考えれば年下の人が増えるわけだから、当たり前だけど、結構おもしろい事実だ。


つい先日も、30歳になったばかりの女性と話していた。コーヒーショップで、仕事の話だったのが、だんだんと子育ての話も混じる。

話が弾んでいたのに、わたしがふと口にした一言で、彼女が涙目になった。

周りから見たら、明らかにわたしがイジメた図式。まずい。どうしよう。


2歳に思いを巡らせる

涙の直前まで、話していたのは、子育ての話。

彼女はいま2歳になるお子さんを育てていると言う。様子を聞くうちに、わたしが「2歳の息子を育てていたころ」の情景がぐわっとよみがえった。

いまはもう成人しているうちの息子は、バスや電車が好きだった。意味もなく休日にはバスで出かけた。

「山手線バイバイ」は、息子の超お気に入りイベント。山手線の陸橋でひたすら電車に手を降る。1時間も、電車が来るたびに「バイバーーーーイ」と叫びなから、ただ手を振る。つき合ってわたしも一生懸命、手を振った。

「パーーン!」と、ごくたまに気の向いた運転手さんが、警笛を鳴らしてくれたりして、そのときの「世界が祝福してくれた」と言わんばかりの息子の輝く笑顔は、いまも忘れられない。通りがかりの人も、みんな一緒に笑ってくれてた。いい時間だったなあ。

たぶん、いまもこんな子育て中の人は、いっぱいいるはず。


涙のわけは、初めての言葉だった

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我が家の楽しかった思い出を話しついでに、なにげなく彼女に言った。

「いいなあ、楽しいこといっぱいできるねえ」 

彼女が少しうつむいて、涙を浮かべた


驚いて慌てるわたしに、彼女は「すみません」と言ってから、

「初めてです。『いいなあ』って言われたの。いままで、『子どもがいて大変でしょう』としか言われなかったから。ほんとうに、初めてで、なんか嬉しくて」と続けた。

「そうですよね、楽しんでいいんですよね」最後は自分に言い聞かせるるように、呟いた。

そうか。そういう理由なのか。
ホッとして、コップの水をぐいっと飲みほした。


子育て支援が行き届き、社会全体で子育てを応援するのは、大歓迎。男性の育休取得ももっと進んで欲しいと心から思っている。

でも、一方的な「子育て、大変でしょう」は、「子育ては大変」という縛りの言葉だ。

親切心からの言葉だろうが、「大変でしょう」を聞き続ける身としては、「大変でなくてはいけない」気にもさせられるのだ。彼女の話にドキリとした。自分も、そんな風に気軽に使ってなかったろうか。

常套句は、優しくない

「大変でしょう」に嘘はない。

でも、改めて考えると、どこか距離感のある言葉にもとれる。

寄り添うというよりも、「子育てを応援している態度を示すには、『大変でしょう』と声をかける」という常套句に感じてきた。

もう挨拶代わりの「大変でしょう」は卒業したほうがいいだろう。本当に心から応援したいのなら、なおさら。

泣いた彼女は、「いま自分がしていることが、『ただの大変なこと』だけじゃないって気づけて、嬉しかった」と、声はもう笑っていた。わたしも嬉しかった。

子どもが小さいとき、わたしも大変だと思ってた。でも、「大変だけど楽しい」のも、事実。

使い古された言葉では、本当の気持ちは届かない。

絵本を通して子どもと関わる仕事をしている中で、本当に自分が伝えたいことを「自分の言葉」として伝えたい。覚悟をした出来事だった。



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