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こどもにとって「豊かな体験」って何だろう


ネットや広告で
こどもに「豊かな体験」をさせよう、という言葉をよく見る。

「豊かな体験」=ふつうの生活では、できないこと?

わたしは仕事で、子育て中の保護者とお話する機会が多い。

たいていは小学校の低学年までの子を持つ方で、
実際にそこでも、こどもに「たくさん体験させたい」という声をよく聞く。


確かに、わたしの住む都心では、
どこもかしこもアスファルトばかり。校庭も土ではない。
足で土に触れるどころか、手で土に触れることもめったにない生活だ。

おじいちゃんおばあちゃんと同居している子も少なく、
自然体験も社会的体験も、させたいことは多いだろうなあ。

・・・・と思っていた。

「豊かな体験」は、ひとりひとり違う


しかし、よくよく聞いてみると、
どうやら「豊かな体験」の中味は、ひとりひとりで相当に違った


「習い事をいろいろさせる」ことを
「豊かな体験」と言ってる人もいれば、
「テーマパークや博物館に行く」ことを指している人もいる。

その他にも
●都心から離れた田舎体験
●海外での語学留学
●サマーキャンプ
●スキーキャンプ
●農業体験
●ゴルフ
●ピアノで海外留学
●プログラミング学習
などなど、ここまで違うのかと驚く。

保育者の考える「豊かな体験」は、視点が違う

でも、驚くことに
保育士や学校関係者、こどもに接する仕事をしている人に聞いてみると、「豊かな体験」はまったく違った方向のことが多い

●外遊び
●虫捕り
●遊具のない自然の中での遊び
●生き物を飼う
●子ども同士の喧嘩
●お手伝い
●異世代との遊び
●地域での祭り、地域交流

昭和と令和の差?
いやいや、違う。

こどもを見る視点に、明らかに差がある。


「豊かな体験」は、
保育園でも幼稚園でも、もしかしたら中学や高校・大学でも
売り言葉にしている。

ここでも、受ける側と、提供する側にズレがあるかもしれない。
見極めないとちょっと危険だ。

絵本の世界では、どうなのか?

では、絵本の講座をしているわたしの立場で見ると、
「豊かな体験」は、どうなのか。

わたしは、
こどもの発達には「生物として備わった順番」があると思う。

「寝返り」の前に「歩く」ことはないのだ。

個人では太刀打ちできない、
DNAレベルの発達に
逆らう努力より、沿うほうがラクなのではないか。


具体的言えば、

赤ちゃんに、背伸びをして
園児が読む絵本を与える「豊かな体験」よりも

赤ちゃんが喜ぶジャストな絵本を
「何度も、いろんな読み方をする」形での「豊かな体験」のほうが、
与える側にとっても、受け取る側にとってもラクだ。


「ラク」ということは、
負荷をかけずに、ゆったり楽しく暮らせること。

わたしは「ラク」な「豊かさ」を応援したい。

夢のある曖昧な言葉は、一歩寄って確かめる


どっちがいい、悪いの問題ではなく
抽象的な「豊かな体験」という言葉は
使う人が、使いたいように使ってるのだ。

これは「豊かな体験」に、限ったことじゃない。

かっこいい、夢のある、
思わずお財布を開きたくなるような魅惑の言葉は、
たいてい曖昧だ。


ステキな「曖昧言葉」に出会ったら、見極めないとなと思う。

具体的には何を言っているのかをぐっと一歩近寄って、もうひとつ奥を覗く。

そうすることで、相手が何をしたいのかを見極める以上に、
「自分が何を求めているのか」も、明確になると思う。



ステキな「曖昧言葉」。

政治家の選挙の言葉もそうかもしれない。
わたしの仕事の範疇で言えば、「絵本で良い時間を」なども、
どこか夢のある魅惑の曖昧言葉の1つかもしれない。

一歩寄って、しっかり見極めていきたい。


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※文章修行の実験/時間をおいて読み直す&第三者に見てもらうことをしてみました。

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