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ソラマメの町、エアフルトへようこそ

初めてソラマメのドイツ語訳を聞いたときドン引きしそうになった。
                                  

                             プフボーネ(Puffbohne)

プフ(Puff)って売春婦という意味じゃなかったっけ。ボーネは豆類一般の総称なので「売春婦のお豆さんってことか!?」と当惑してしまったのだ。けれど、何のことはない。プフは膨らむを指すアウフプッフェン(Aufpuffen)に由来し、茹でたときにマメがふくれることから来たらしい。ああ、良かった。

でもソラマメはこの他にも別名がたくさんあって、ディッケボーネ(=太っちょ豆)、アッカーボーネ(=畑の豆)はいいとしても、ザウボーネ(=雌豚に食べさせる豆)、あるいはプフェアデボーネ(=馬に食べさせる豆)なんて呼ばれ方もする。なんかぞんざいに扱われてないか?

味的には枝豆に軍配をあげてしまうかもしれないけどビジュアル的にはフカフカのベッドに特大豆がおさまっている姿はこれぞキング・オブ・豆の風格なのに…。もうちいとネーミングは考えてあげて欲しかった。

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なんでも腹持ちが良くてタンパク質やビタミンなど栄養価に富んでかつ安いという貧しい人の食べ物の代名詞でもあったのと、家畜の飼料として重宝されたという歴史からこういった名前につながったらしい。それにしても空に向かって育つソラマメという日本語名に比べたらちょっとねえ。

でも大丈夫。ソラマメ諸君、卑下することはない。何せドイツには自らをソラマメと自称する人たちの住む町があるのだから。

エアフルト市民は自称“ソラマメ”

エアフルトは人口21万人、チューリンゲンの州都でエアフルト大学はマルティン・ルターが学んだ、いわば宗教改革の礎が築かれた地でもある。主要な見所が10分の徒歩圏内で回れるコンパクトさがウリだったりする。


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ソラマメが真っ青な空を見上げる季節に訪れた土曜日は大聖堂をバックにした広場に市が立つ日だ。野菜や果物、チーズにパン、蜂蜜やらかごを売る店もでている。もし、市場のにぎわいで町の活気をはかるとしたら、まちがいなくエアフルトは元気な町といえる。

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所狭しと並ぶ野菜と果物はチューリンゲン盆地の肥沃な黒土からの贈り物。地中海原産のソラマメは中世の時代からエアフルトとその周辺で栽培されるようになった。

エアフルトの人たちが自らをソラマメと呼ぶのは、常に乾燥マメをポケットにしのばせてつまんでいたことから。そしてソラマメ畑を通り過ぎる時には敬意の印として帽子をぬいで挨拶したという。そこからついたエアフルトのソラマメというあだ名を彼らは誇りを持って自称しているのだからソラマメ冥利につきるってもの。 

ソラマメくんは働きもの


市場が買い物かごや袋を手にしたミスター・ソラマメ、マダム・ソラマメでにぎわう中、東南アジア系の女性が野菜を並べたりせわしく働いている姿が目に入った。(行ったことないけれど)ベトナムのホーチミンの市場にでもいるような気に襲われつつ、彼女のお店でビニール袋にソラマメを一掴み入れてお会計してもらう。レジ係りもやはり東南アジア系の女性。

一般的にドイツの市場で野菜や果物を売っている外国人といえばトルコや中近東系のちょっと濃い人たちというのが相場で、東南アジア系なんて珍しいな、と何か頭の中で引っかかったたのだが、その時は思いつかず、店を離れてからハタとエアフルトが旧東ドイツ領だったということに思い当たった。

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東西ドイツに分かれていたころは社会主義国同士のよしみで東ドイツにいた出稼ぎ外国人といえばキューバ人とベトナム人。ベトナム人はジーンズ作りとか縫製関係の仕事についている人が多かった。ベルリンの壁が崩壊してそういった外国人労働者は祖国へ戻されたと聞いていたが、中にはドイツにとどまって新生ドイツ社会に根を下ろした人がこうやって店を構えたりしているのかもしれない。

そんなことを考えながら別のお店でもまたまたソラマメをゲット。これで「エアフルト風ソラマメサラダ」を作る材料は揃った。

市場ではエアフルトのマスコット、「ソラマメくん」がコロナ対策で買い物客にソーシャルディスタンスを呼びかける張り紙に登場しているのを見かけた。(普通はマスコットに愛称をつけそうなものだが、ここのはソラマメとしか呼ばれていないので勝手にソラマメくんと命名させてもらう)

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ほかにも中世の名残を残す名所、クレーマー橋でもマスク着用を呼びかける張り紙にかり出されておりソラマメくんはなかなかの働き者とみた。コロナで他人との関係はギスギスなりがちだが、こうやってゆるキャラが注意を呼び掛けてくれると素直に従おうと思えるからその効果は絶大だ。

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なんでもソラマメを町のマスコットに起用しようというアイデアは旧東ドイツ時代の70年代からあったらしいのだが、実際に具体化したのは2000年。

エルフルト出身者ながら地元を離れて久しい人に、「君ソラマメなんだってね」と言ったら怪訝そうな顔をされたから、きっとマスコットのように目に見える形になってから本当に浸透するようになったのだろう。

ソラマメくんは町の啓発運動だけでなく、ぬいぐるみやカップ、キーホールダーにTシャツにと地元のアピールに大活躍している。

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それにエアフルトで生まれた子供は病院でソラマメくんのぬいぐるみをプレゼントしてもらい、晴れてソラマメの一員となったことを祝ってもらえるのだ。

ソラマメの伝統品種をガーデニングショーで見る


買い物をすませてから市内で開催中の連邦ガーデニングショーの会場に急いだ。2年に1回の頻度で選んで開かれる連邦カーデニングショーはその地域の特色を生かしながら様々なテーマで植栽され、植物や庭、自然の魅力を楽しめる色々な趣向がこらされている。

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エアフルトは会場が二カ所に分かれており、大聖堂広場近くのペータースベルクには野菜の伝統品種と現代の品種を紹介する区画があるというのでそこへ出向いた。

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ソラマメに注目すると、3種類ほどあったエアフルトの名を冠した伝統品種は市場で売られていたのに比べるとちょっと小ぶりで細長いのが特徴。味見できないのがなんとも残念。

馬や豚に食わすほどと聞けばソラマメはどこにでも植えられ、売られているような印象を受ける。が、例えばミュンヘンでは市内の市場を回ったけれどもソラマメにはお目にかかれなかった。エアフルトはさすがにソラマメの町だけあって市場ですぐに見つかったが、ここでもどうも生産量は減る傾向にあるらしい。


その原因は欧州連合(EU)の補助金を受け取るためには化学除草剤の使用が禁止されており、雑草駆除の手間が敬遠されて栽培が敬遠されるようになったから。そのうえ安価な輸入大豆に押されて飼料としての需要が落ちたのも一因らしい。

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あとソラマメはアブラムシにとーっても好かれる。畑でも茎のところにビッシリと黒い虫が群れているのを見ると、家庭菜園ならいいけれど売り物として栽培するなら苦労なことよのう、と思ってしまう。

ソラマメ団子とスープを味わう

さて、ソラマメを愛でるだけでは飽き足らない。やっぱり舌と胃で味わいたい。場内の屋台に突進して、ソラマメ、カリフラワーとクレソンというエアフルト3大名物をマッシュして揚げ、クレソンのソースをかけたファラフェルのような「ガーデニングショーの真珠」なる一品を食べてみた。

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ソラマメの味がもうちょっとするかなと期待したのだけど、辛みのあるクレソンに負けてその味が分からないのがこれまた残念。

トラムに乗って会場を移動して今度はエガパークへ。エガパークは1961年に社会主義国家による第一回国際造園展覧会を開くために造成された公園で広さ約36ha。天文台や造園博物館などもあり、市民にとっては憩いの場であるだけでなく、手近な行楽地であったりもする。

ここではソラマメのシチューを注文してみた。味的にはソラマメ度がどうも薄いのだけれども、ジャガイモ、ニンジン、ベーコンが入ってボリュームも栄養もバッチリ。つけあわせのパンを食べなくても十分お腹をふくらせることができてソラマメが貧しい人々にとってどれだけありがたい野菜だったのがようく分かった。

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大きく育て、未来を担うミニソラマメたち

満腹になって場内を歩き回ると広い遊び場にぶち当たった。イチゴやニンジン、あるいはジョウロをかたどった遊具で夢中になって遊んだり、走り回っている子供たち、いやミニソラマメたちがたくさん。

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会場を移動する際に乗ったトラムでもおばあちゃんに連れられた顔がソラマメを彷彿させるかわいらしい男の子もいた。

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野菜のソラマメがふかふかベッドに守られているように、エアフルトの子供たちもまた大人に見守られながらぐんぐん成長している。みんなソラマメ食べて大きく元気に育ってね。そしてソラマメの町としてのエアフルトの伝統の火をぜひ守り続けておくれよ。

家に帰ってレシピ本を見ながら作ったエアフルト風ソラマメサラダ。
茹でたソラマメにタマネギのみじん切りを混ぜて、ドレッシングをかけてゆで卵とパセリを飾ればできあがり。(ソーセージを混ぜるとさらに美味しいと書かれていたけれど、なくても美味しく食べられました)

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