ヘッドが出たら有頂天
今月に入って天気がすぐれないことが多い。
目の覚めるような青空を拝めるのはもう少し先になりそうである。
私は夏生まれなのである程度の暑さはむしろ好ましく感じる。
体温越えの四十度近い気温になる地域にお住まいの方は身体に応えて大変だと思うが私の住む町でも三十五度くらいまでは気温が上がる。
車で移動している時は駐車場に停めている間に車内の温度がぐんぐん上昇するので汗が噴き出て少ししんどいなぁと思う。
炎天下に放置した車両に子どもやペットを置いてきぼりにするのは紛れもなく虐待であり確実に命にかかわる。
あるデータでは社内の温度は七十度を超える事もあるそうで想像するだけで汗が噴き出そうになる。
私が子どもの頃は母は運転免許を持っていなかったので出かけるときはもっぱら自転車だった。
当時幼稚園児だった兄と私を自転車の前と後ろに乗せて背中には産まれて間もない弟を背負うというちょっとした雑技団の様な曲乗りをしていた。
しかも自宅の前は急な坂になっているのでかなりの加速をして下り降りていた。
爽快感はあったがちょっとスリルもあって結構危険だったなと思い出すことができる。
小学生になってからは自転車に乗れるように特訓した。
何度も転んでひざを擦り剥いたが一日かけてみっちり練習してどうにか乗れるようになった。
しかし校則で自転車に乗って良いのは小学校三年生からというルールがあったのでもどかしかった。
学校で自転車免許試験なるものがあって筆記試験と実技試験があった。
筆記試験は余裕でクリアしたが実技試験は少々苦労した。
一発クリアは出来ずに二度目で合格したように覚えている。
それからはヘルメットを被って自転車に乗れるようになったので行動範囲がグッと広まった。
当時流行っていたのは変速ギアが沢山ついている自転車だった。
ローカルな呼び名かも知れないがギア段という名称で親しまれていた。
私も父にねだって五段変速の自転車を買ってもらった。
ギアを切り替えれば坂道でも軽々と走れる優れものだった。
友達も同じような自転車に乗っていたのでよく遠乗りをしたものである。
校区外に出る時には保護者の許可が必要だったが、好奇心旺盛な少年ばかりだったのでルールを守る子は少なかった。
私も友達と一緒にデパートで涼んだり、市民プールに泳ぎに行ったりと行動範囲が格段に広がった。
友達と一緒に良く通っていたのは町はずれの駄菓子屋でそこのお店は当時大人気だったビックリマンチョコの仕入れが早かった。
ビックリマンチョコは異常な人気があり当時一個三十円という駄菓子価格だったので夢中になって買い求めたものである。
お小遣いに余裕のある子は箱買いという大人買いの片りんを見せつけるような豪快な買い方をしていたが私のお小遣いではとても無理な相談だった。
お目当てはシールなので同封されているウェハースチョコはあまり人気が無かった。
箱買いをしたらかなりの数になるので確かに処理に困っただろうなと思う。
そんな時に食べないならちょうだいと言ってチョコを貰う事もよくあった。
ウェハースの中にピーナッツとチョコが練り込まれているあの味が懐かしい。
私も熱心にシール集めをしたものだがある日市民プールに泳ぎに行った時に盗難に遭って根こそぎ失ってしまった。
今考えてみるとプールのロッカーという匿名性の高い所にしまっていたのに盗られてしまったので犯人は身内の可能性が高い。
本当に子ども達を熱狂の渦に巻き込んだビックリマンチョコ。
今でも保管していればお宝になるシールもあったに違いない。
それともいつの間にかどこかに行ってしまう確率の方が高いかなとも思う。
自転車に乗って汗をかきながら出かけた夏が懐かしい。
皆様、暑中お見舞い申し上げます。
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