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憧れのお仕事

 ご無沙汰noteです。侍ジャパン強化試合ののち、プロ野球はオフシーズンとなり、WBC本大会への推しのサプライズ内定など目が離せないことも多いが、今日はちょっと違う話を。

 今、看護師をしている。結構いろんなところで働いたが今の病院がキャリアの中で一番長くなりつつある。違う県の政令指定都市にあるでっかい大学病院にいたこともあるし、会社の医務センターに勤めたこともある。今は療養型病院という分野だ。
 
 今の病院に来る前までは、メンタルを病んでしまっていた。でっかい病院を辞め、地元に戻って非正規雇用で市中病院に入ったが、キャリアがあるというだけで何も教えてもらえない、声もかけづらい、何か間違いがあると新入りの自分のせいにされる…と辛い日々で、電車で通勤していたのだが、早まってはいけないと駅で電車を待つときは先頭車両が入ってくるのを見ないようにしていたほどであった。自分もしんどかったが、メンタルを病んだと看護師長に話したところ、翌日から来なくて良いと契約終了。まあ、それ以上もう行ける精神状態ではなかったのでこちらとしても結果的にはよかった。しかしゴミのような捨て方には今も腹立たしくは思っている。

 さて、その日から「失業」の状態になる。まずは辛い環境から解放されたので地面ばかり見ていた目が上を向いた。2月の空はどんよりしているのに気持ちよく見えた。今までの心身の疲れのため、昼間から寝た。時々単発の採血や健診バイトでもしようかと求人を見たが、出来ないなと思いやめた。家族も「本当に働きたいと思うようになるまで休みなさい」と言ってくれたのがありがたかった。弁当を作り、自転車に乗り、公民館の運動場のベンチでランチをとったり、お菓子を作ったり、ゆっくりと時間が流れた。しかし、「失業中」なので、のんびりばかりはダメでハローワークに定期的に行く。求職活動をしていますよ〜という姿勢も見せなければならない。端末をぽちぽち。

 そんな日々の中で私は「もう医療には戻らない。オールドルーキーはまた目の上のたんこぶ扱いだろう」と思い、他の人に笑顔になってもらえる仕事がしたいとスターバックスの店員さんになろうと思ったのである。近隣に店舗は少ないが、研修システムもちゃんとしてるし、もちろん収入も生活可能だし、カップになんか書いたり、勉強しておすすめとか言えるようになれたらななど、グリーンのエプロンに憧れを抱いた。

 ある日、スタバの求人票をプリントアウトしてハロワの係員のおじさんに持っていった。すると、おじさんは私の職歴や資格を見てこういった。

「おじさんは医療のことはよく分からないけど、看護師さんって国家資格だし取るの大変だったでしょ?今までも大きなところでやってきて経験積んだんだよね。看護師さんから離れちゃったら、もし次にやりたいなって思った時、すぐに戻れないんじゃないかな?勿体無いよ」

 おじさんはカフェがダメと言ったのではない。社会人としてこの仕事しか経験のない私が全くの異業種に行くことのリスクの方を考えてくださっての言葉だったのだ。
 おじさんの言葉には全く腹が立たなかった。その後もびびって健診業務などの分野を選ぶと「それは確かに看護師さんを募集してるけど経験から言ってそれでいいの?満足して続けられる?」と熟考を促した。

 4月のある日、ハロワから自転車で帰るとき、突然強い風が吹いて桜吹雪の中に入ってしまった。その強い風を浴びた時、なぜか「うん、やっぱり病棟看護に戻りたい」と思ったのである。やっぱりあの仕事しかねえや、私にはと。なぜか泣き笑いの私の頬に花びらが貼りついた。そして今までよりもっとゆっくりと患者さんと関われて、本当に看護の仕事をメインにできるところに行こうと決め、今の療養型病院に就職することができた。おじさんにお礼を言ったら初めて笑顔を見せてくれた。

 時間の流れは今までと違うし、新しくきた私を皆さん親切に迎えてくれた。「結婚してるの?」とかちょっぴりおせっかいなことも聞かれたけど、受け入れてもらえただけで毎日感謝している。非正規の首を切った病院と多少なりとも面識があったせいか、当時の看護部長が遠回しにメンタルは大丈夫かと聞いてきたが、過去に病んだことを知っても受け入れてくださり、今でも「拾ってもらった」という思いがある。

 だから、スタバの店員さんは私の永遠の憧れになった。今日もバレンタインシーズンのグッズのためにスタバに行った。私のスタバカードの絵柄を見た店員さんが「これ、すごい!まだカード初めの頃のですよね!」と言って下さった。飲み物を作って下さったのはさらに憧れのブラックエプロンさん。笑顔のまま飲み物を作る。後ろを通る男性スタッフの方も笑顔だ。

 スタバはずっと私の憧れでいい。そして、仕事のお手本であってほしいと思う。